語りの単位、言葉の射程。- 都知事選から遠くはなれて

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今、海外にいて、ニューヨークに住んでいる。だから都知事選の投票権はなかった。ただ、東京は大学学部時代の4年を過ごしていて思い入れの深い街だし、また帰国して来月から東京都民になるというのもあって、選挙の様子は注目していた。それでも日々のこちらでの生活・仕事があるし、時差もあるので、リアルタイムでへばりつくわけにもいかない。主にポリタスと、TwitterやFacebookと、ブロガー記事や新聞社のウェブ記事などのインターネット経由の情報を、無理ない範囲で追っていた。以下、雑感を。全体的に言って、なんか怖かった。

目次
1. 左派のアジテーションは、みっともなかった。 – 「民主主義は死んだ」って何度目よ
2. 家入陣営は最初ちょっと期待して、その分もっとガッカリした。 – 「ぼくら」とは誰か
3. 「選挙行けよ!」の合唱は、怖かった。 – 語りの単位、言葉の射程
4. 生活の中の政治。- 白菜はなかった、じゃあどうしよう

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1. 左派の「脱原発」アジテーションは、みっともなかった。 – 「民主主義は死んだ」って何度目よ

僕自身は、将来的には原発をなくしていければ良いなと思っている。放射性廃棄物を長年に渡って管理する難しさを考えると、短期のエネルギー効率に恩恵を受けつつも、ずっと頼れるものではない。だけど今回の都知事選における「脱原発派」の人たちのやり方には、ちょっと与できないなぁと感じた。

選挙中も選挙後も、いわゆる「脱原発派」の人たちの言動は、立体感がなかった。戦況分析という意味でもナーバスだったし、SNS上でのキャンペーンも、マスメディア報道の批判にしても、自分たちの見たいものを見ているだけ、のような気がした

極端な例だけど、「舛添と検索しても当選を喜んでいるツイートは全然出てこない!」とか「組織票には個人の意思がこもっていない!」とかそんなことまで言ってる人がいた。少数だと信じたいけど。民意はあなたが見ているインターネット上にしかないのか。組織票は民意ではないのか。

森達也さんのポリタス記事にあるように、自分の主義主張を喧伝するという意味では誰もが選挙においてプロパガンダを行っている。それ自体は否定しない。だけど、個人の尊重とか民主主義とか聞こえの良い美辞麗句にくるんで、対立候補やマスメディアを悪者に仕立て上げてヒロイズムに酔いながら、自分たちも「敵」と同じようにプロパガンダに着手しているのだという事実に目をそむける態度は嫌いだ。
 
 
一番残念だったのはドキュメンタリー映画「フタバから遠くはなれて」の監督船橋淳監督が、ポリタス記事に見られるようなアジテーターになってしまったことだ。「今は平時でなく、戦時になりつつある〜圧倒的な危機感という視点〜」
「とりあえずの安心・安全を求める気持ちを、もう一度見直そう〜(続)圧倒的な危機感について〜」

「今は平時ではない」とやすやすと言ってのけることが出来る人は、全体主義の危険と背中合わせだ。仮に平時ではないとしても、平時のテンションに留まって語り、働きかけ続けるのが知識人や文化人の姿ではなかったのか。

なぜ色んな「脱原発派」アジテーターの中で船橋監督を名指ししたかというと、彼とはNYで一度お会いし、映画も観たからである。僕は自分の知っている人の顔を浮かべて自分の知っている範囲でしか語ることができない。「フタバから遠くはなれて」は、震災・原発事故から避難した双葉町の人々を定点観測する中で、原発を巡る日本の構造と歴史の難しさを淡々と炙りだした良いドキュメンタリーだった。NYで上映されたのを僕も鑑賞して、ブログに感想を書いて送った。お返事もいただいた。だから、今回も届くかなと期待して書いている。どうだろう。

彼が支持していた細川護煕元首相の、原発事故と放射能に対する認識は、酷かった。(finalventさんの極東ブログ「2014年東京都知事選、雑感」で紹介されている)。僕は原発はなくなった方が良いと思うと上に書いた。だけど、原発をどうするかという問題と、汚染水流出を含めた福一原発の事故状況をどうするかという問題と、双葉をはじめとした福島浜通り地方を今後どうしていくかという問題と、居住や食に伴う放射線被曝と健康への影響をどうコントロールするかという問題は、相互に影響があるけど別の話である。「脱原発」を進めるために、福島を都合の良い悲劇の地「フクシマ」にしたり、事実と過剰に異なるレベルで自然環境や健康への被害を煽るような雑な議論は勘弁してほしい。細川さんの発言にはそういうリスクがあると感じた。ドキュメンタリーを撮った船橋監督は、雑な議論やアジテーションで傷つくかもしれない人の顔が、思い浮かぶはずだとは思ったのだけど。

選挙後のFB投稿で、「一歩さらにまた一歩、奈落へと近づきつつある日本の民主主義。」と書いている。ヒロイズムだな、と思った。 
 
「これが最後のチャンス」「これを逃したら終わり」「手段は選ばない」「平時ではない」「細事にこだわっている時ではない」「安倍政権の暴走を止める」「民主主義は死んだ、もう終わりだ」左派からこうした言葉を聞くのは、いったい何度目だろう。

「最後のチャンス」というが、ならばこれまで繰り返し敗北してきたことの反省と戦略の改善はあったのか。「手段は選ばない」というが、選挙以外の場で、これまでに手段は尽くしてきたのか。細事に丁寧にこだわってこなかったゆえの水際ではないのか。暴走してやぶれかぶれになっているのはどちらか。
  
船橋監督はNYでの講演会で、「ドキュメンタリーは、考えるきっかけになってもそれ自体で社会を変えることはできない」とおっしゃっていて、作品へのその醒めたスタンスに好感を覚えた。彼にとっては「社会を変える」試みがアジテーションだったということで、それは作品の作り手、映画監督船橋淳とは違うペルソナを被ることを今回は選んだのだろう。その選択自体は否定しないけど、ただ残念だと思う。彼が「フタバから遠くはなれて」で描いたようなテンションで静かに戦うということは、政治の舞台でも可能だろうと僕は思うからだ。

戦争などの悲劇を避けられるとしたら、十人そこそこのアジテーターによる「非常時」宣言よりも、小さな何百万人何千万人の市民が地域や国を越えて(今の時代なら日中韓にまたがって)地道にささやかな日常生活を守り続けることの方が有効だろうと、僕は思う。

「大声を出す時期は終わった」という開沼博さんの言葉に、同意する。

 
 
2. 家入陣営は最初ちょっと期待して、その分もっとガッカリした。 – 「ぼくら」とは誰か

候補者の年齢という点で、35歳の家入一真さんの出馬は、最初ちょっと、期待した。「1000RTされたら出馬」とか、なんとなく周りの空気に押されてという感じの立候補を批判する人もいたが、それ自体は別にいんじゃないのと僕は思った。供託金さえ払ってちゃんと手続き踏めば、出るのは自由だし。中川淳一郎さんのポリタス記事「都知事選出馬はオッサンにとって自費出版より優れた自己顕示手法だ!」で触れられているように、選挙というのは純粋な公共心だけでなくて、自己顕示欲とかノリとかそういう「不純」なものも含めてのお祭りなのだろうと認識している。高齢者だらけの選挙をかき回すという意味では、面白いんじゃないのと思った。「居場所をつくる」という問題意識・目標設定も共感した。だけどその後、ガッカリした。


掲げる理想としては、まぁ美しい。このツイートは2/9のものだが、2/3付のFacebookポストなど、割りと初期から同趣旨のことは掲げていた。


毎日新聞: 都知事選:家入氏「上の世代びびらせたかった」
しかし残念ながら、後半は若者の投票率とか、よくある世代論に収束してしまった感がある。

世代論に収束したがゆえに、彼が引き合いに出す「マイノリティ」とか「僕らの」という括りも、「若者」と合わせて、彼周辺の狭いセクトに閉じていきそうな、胡散臭さを感じた。彼が引き合いに出す社会的弱者・マイノリティとカテゴライズされる集団に属している人で、「勝手にひとまとめにするな」と思った人も、いるのではないだろうか。

セクシュアリティや民族や年齢や出自や家庭というのは、人のアイデンティティを構成するone of themに過ぎない。たとえば在日外国人やセクシュアルマイノリティである事実やレッテルがどうしようもなく大きな悩みとなっている人もいるだろうが、逆に全くそうでない人、別の要素を組み合わせて自分のアイデンティティを獲得し、生きている人もいる。

マイノリティ問題をマイノリティ問題のまま扱うこと、そこだけにフォーカスして政治的集団を作ることは、「マイノリティ」集団のなかの「強いマイノリティ」と「弱いマイノリティ」を可視化し、分断やヒエラルキーを再生産する危険が常につきまとう。

政治というのは結局数の争いだから、そうなることは構造上・性質上仕方ないのだけれど、その切なさを引き受ける覚悟があるのかな、と思った。もっと言うと、彼が上記ツイートで掲げたような様々なマイノリティ問題に分断を招かぬよう、丁寧に丁寧に対話と研究と実践を積み重ねてきている官・民・学・非営利様々な先達への敬意はどの程度あるのかな、問題の難しさ奥深さの認識はどの程度リアルにもっているのかな、と疑問を覚えた。

政策に関しても、120の「ぼくらの政策」のうち、面白いものもあったが、2の先生評価指標導入(学校への消費者主義導入推進)とか、7の特別支援学級の充実(健常者と障害者の更なる分断の恐れ)とか、30の最低労働賃金緩和(多様な労働形態どころか企業の更なる搾取を招くんじゃないか)とか、リスキーなものも散見され、支持をためらってしまう。

安易な世代論に対する色んな人からの指摘が届いたのか、一応以下のような発言を重ねてはいる。


なるべく排他的にならないような配慮はしているのだろう。そういうセンスを備えている人なのだと思う。

ところが次の動きでまたガッカリした。「インターネッ党」て。「インターネッ党」て(大事なことなので2回言いました)。どうなんだろ、その名前。集合知とかクラウド的なものを信じてる人たちの集まりなのかもしれないけど、インターネットそれ自体は、すでに、そしてこれからますます世代と土地と階層を越えて浸透していくインフラなのだから、果たして適切な名前か疑問である。まぁ、名乗るのは自由なんだけど、インターネットの中の「どこ」を代表してるんだろう。これもやっぱり、狭い「僕らの」インターネットなんじゃないかという気がした。

失礼な言い方になるが、賛同人一覧を見ると「あぁ、またあのいつもの人たち」という顔ぶれになっていて、それを見るだけで「うへぇ」となる人、少なくない気がする。これからビジョンと戦略をブラッシュアップしていくことだと思うけど、「いつもの人たち」以外を取り込める懐の広さを持てるかどうか、ちょっと心配である。若い候補者を区議選に擁立というが、むしろお年寄りも立てて一緒にやった方が良いのではないか。
 
 
家入さんとは直接お会いしたことはない。Studygift炎上した時に、趣旨には共感するけどあまりにも粗くて脇が甘すぎると昔のブログでお伝えしたことがある。その後、ご丁寧にFBメッセージをいただいて1往復だけやり取りをした。当時僕が忙しくてお会いすること叶わなかったが、誠実なところがあるなと感じた。彼の相棒の高木新平君とはちょくちょくあった盛んに議論を交わす間柄だ。僕なんかよりずっと頭が切れる。なので、数多くの炎上劇を見ているだけの人よりは、彼らの活動に対して多少の理解と共感を寄せている方だと思う。それゆえに残念だったというのもあるし、まだこれからの改善に期待して、この言葉が届くかなと思って、書いている面もある。

選挙をやるというのはものすごく大変だったと思う。これから継続して政治をやっていくというのはもっともっともっと大変だと思う。「居場所をつくる」というビジョンは好きだ。「優しい革命」という理想も、まぁ美しい。だけどこの先、そうもいかなくなるだろう。何かを取って別の何かを切り捨てる時もあるだろう。その時、ナイーブな「僕らのインターネット」を脱却できるか。

政治を、身近な僕らの日常に取り戻す、という呼びかけから始まった彼の運動が、次第に硬直化し、教条化し、排他的になることを恐れる。「優しい革命」が優しくなくなることを、恐れる。さらなる「生きづらさ」が生まれることを、恐れる。

彼を支持する宇野常寛さんがポリタスで“「義の言葉」ではなく「生活の言葉」であり、非日常の言葉ではなく日常の言葉です。”と称賛した家入さんの言葉が、地べたの日常との接点を保ち続けることを、切に願う。
 
 
3. 「選挙行けよ!」の合唱は、怖かった。 – 語りの単位、言葉の射程

選挙になると急にテンションが上がる人がいる。お祭りだからそんなもんだろうけど、ちょっと怖い。
今回もまた、「選挙に行かない」という選択肢を押しつぶそうとする人が、少なからず見られた。
案の定、東浩紀さんが棄権するとツイートした時に叩いている人たちがいた。別にいいじゃん。

選挙の度に上がってくるが、フローレンス駒崎弘樹さんのブログ記事「選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由」は、何度読んでも気持ち悪い。

2.選挙に行かないのが「どこに入れても同じ」だとしたら 
彼が「どこに入れても同じだよね」と言っていたら、彼は日本語を読む能力が欠けている。

そうだろうか。続く文章では政党や候補者ごとに政策は全然違うのだから、同じなはずがないという趣旨のことが書かれている。だけど今回のように、事前情報から選挙結果、少なくともトップ当選者は「どこに入れても同じ」ということが予測できてしまうケースもある。その場合になおも選挙に行くべきだと言うのは、読解力というかそろばんの問題としてどうなのだろうと思う。

最後に言いたい。選挙を放棄するということは、君にも君たちの子どもの将来にも、本気では関心ないよ、ということと一緒なんだ。

そうかな。みんな必死で、生きてるよ。彼女や子どもや家族の将来を守るために、働いたり、選挙以外の部分で日々戦ってる人、いっぱいいるよ。選挙より大事なことだってあるし、選挙より有効な戦い方・守り方もあるんじゃなかろうか。何より駒崎さん自身が、そういう人のはずだと思っていた。フローレンスの事業活動や種々の政策提言を通して、選挙以外の面でも立派に「政治参加」している。ならばなぜ、選挙以外のことに時間を割くという選択肢を許容できないのだろう。あまつさえ、彼氏と別れろなんて勝手なこと言うんだろう。疑問でならない。いや、わざと煽ってる記事なのは知ってるけど。気持ち悪い。

対照的に、彼は同級生なので「さん」をつけるとこそばゆいからやめとくけど(笑)ーリディラバ安部敏樹のポリタス投稿「投票自体はいいけれど、支持する人を主張なんかしたくないなと思ってしまうくらい僕は無責任な有権者なわけですが」は、東京都民として、社会問題を扱う団体の代表として、それらをくるめた一個人としての、等身大の歩行のリズムで言葉が紡がれていて、良かった。押し付けるでもなく、かといって逃げるでもなく。けっこう勇気のいる投稿だったと思う。そして彼の投稿によってホッとした人はけっこういたのではないかと思う。

POSSEの今野晴貴さんの記事も、NPOの代表としての矜持が見えて良かった。安易な一本化論、政局論争に乗ることなく、きっと選挙以外の期間も年中ずっとやってることであろう、日々の活動の延長で語っている。”誰よりも現場の人間は、最後まで自分たちの論点を、妥協なく、すべての候補に問いかけ続けるべきだと思う”という言葉には、ワイドショーのような言説を並べる「知識人」よりも力がこもっている。

とにかく選挙になると急に語りの単位が等身大を越えてムクムクと大きくなる人がいる。そしていつもより広い射程で言葉を投げてくる人がいる。怖い。お祭りに身を置くこと、共感やムーブメントを巻き起こすために声をあげることが、個人の実感値とも一致することは勿論あるのだろうけど、あんまり行き過ぎると、自分の身を離れ、手垢のついた説教臭いアジテーションに陥る。「優しい革命」は宙に消える。

最小単位で語り続けるというのは、難しい。「僕たちの」「わたしたちの」「みんなの」「自分ごと」「身近なところから」そうした言葉もすぐに形骸化する。1人称の代名詞を使わずに1人として語り続けること。言葉を掴んで発してはその都度捨てていくこと。それができるかどうかは、むしろ選挙の時にこそ問われるのではないか。
 
 
4. 生活問題としての政治。- 白菜はなかった、じゃあどうしよう

「現実的な投票か、示威的な投票か」という記事を投稿し、現実的な投票を選んだfinalventさんのツイートに印象深いものがあった。

キャベツしかないならキャベツで我慢するか。(現実的投票)
キャベツだろうと白菜だろうと使えそうなものはなんでも使ってみるか。(アドボカシー)
何も食べないか。(棄権)
白菜がないからこれから白菜を育てよう、あるいは外から調達しようとするか。(示威的投票、対立候補養成)
キャベツも白菜も使わないで良い料理を考えるか。(選挙以外の取り組み)
あるいはそれらを組み合わせたり場合によって使い分けるか。

選挙1つとっても色んな態度があると思う。あるいは選挙だけに目を向けず、別の道を探すという手もあると思う。

少なくとも言えることは、「選挙」よりも「生活」の方が、広く、長い。
だから僕は選挙に過度な希望は抱かない。かといって絶望はしない。
一市民として考え、暮らし、自分の立場に基づいた発言をする。
今回、選挙へのスタンスとしては「かつての東京都民、今海外で投票権無し、もうすぐまた都民だから選挙ほどほどに気になる」という感じ。政策としては自身が勉強し、仕事や活動で関わっているいくつかの分野(公衆衛生、障害、高齢者ケア、セクシュアリティ、エスニシティ、災害、それら包含した地域コミュニティの諸問題)に関心を強く向けた。
その上で、ここで書けることを書いた。

 

 
最後に。色々好き勝手書いてしまいまったけれど、しかし文中散々補足しているように、個々の言説や振る舞いに意見を述べているだけであって、名前を上げた人の人格を貶める意図はないことを強調しておきます。

誰にとっても、突然の辞任劇、突然の都知事選。選挙戦を戦った16名の候補者と各陣営にとっても、各メディアに言説を載せた人々にとっても、投票について悩み考えた都民にとっても、大変な日々だったと思います。上記書いた通り、僕は海外にいて、今回の選挙戦が生活上の優先順位の1位でもなかったし物理的に投票もできなかった。だからこそ、この2ヶ月間、体力とお金と時間と知識を選挙に注ぎ込んだ人々に、敬意を評します。どうもおつかれさまでした。

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9 Responses to “語りの単位、言葉の射程。- 都知事選から遠くはなれて”

  1. Atsushi Funahashi on

    ブログで言及をありがとうございます。

    いま全体を拝読しましたが、はっきりいっておかしいと思いました。

    何がおかしいかというと、今回の都知事選について、提示された選択肢をしっかりと観察して悩み抜いた上でどうするべきか、という立場がないまま、いろんな言説、候補者、論者の揚げ足をとっているだけに過ぎない点です。

    今回の都知事選でも、その前からもずっとですが、理想の候補者など実はいない中で、苦渋の決断を強いられることが多いのが選挙です。

    僕の今回の言葉が、少々冷静さを欠き、過剰になっていたのは認めます。
    しかし、誰に投票しなければいけない、〜〜は最低だ、という言い方は決してしないよう自戒していましたし、持論を絶対視する人間は逆に危険だと思っています。ですから、今回ポリタスに書いた言葉も、あくまで冷静な分析をまずやって、そのあと、理想の選択など存在しない中から、苦渋の決断をしてゆく、その過程を読者と共有することにより、(東さんもいってますが)選挙について深く考えることを多くの市民層と共に行い、政治についてちゃんと議論する市民意識が広がっていけばいいな、という考えがあります。それをアジテーターという言葉でばっさり切り捨てるのは、酷すぎます。敢えて言うなら、外野からヤジを飛ばしているようにしか、聞こえません。選挙権のある市民の中には、どうすればこの状況を少しでもよくできるのか、(たった一票でも)悩み抜いている人間もいて、そんな人々に多くであったのが僕にとり、今回の選挙戦でした。

    NYにいるのだし、選挙権はないし、というのは関係ありません。
    都知事選に関し、誰かの批判をするのであれば、しっかり自分の立場、誰にどういった理由で投票したいと考えるのか、もしくは投票を棄権するほど状況が危機的であれば、どうすれば状況が改善するのか。自説を提示してから、批判するのが誠実な言説だと思います。

    いただいたブログは、表層だけの違和感を並べ立てた、個人的なヤジにしか見えません。

    自分が支持する候補や、より具体的で未来の見える改善策を考え抜くことは、どれだけのリサーチと思考を必要とすることか。その作業をやりぬいてこそ、ようやく誠実な批判が出来るというものと思います。そして、当事者ではなくとも、当事者以上に、背に腹を返られぬ苦境と状況への深い理解を示す人間はこの世に多くいます。例えば、今度来日するNoam Chomsky の言葉には、僕はそれを感じます。選挙も政治も人間のやること。政策・政局への論理的分析と、現場に入る人間の感情をともに受け止める感性が、より近くなったようで実は断絶が広がりつつあるインターネット時代に必要だと感じています。

    返信
    • yuhei on

      船橋監督

      お返事どうもありがとうございます。以下、お返事です。
      ・自分の立場を明確に、というリクエストですが、細川氏を支持しません。Ifの話で東京にいたなら、舛添氏or家入氏で逡巡しつつ、棄権の可能性もあったと想像します。
      ・船橋監督の懸念と思考プロセス・優先順位設定・政治的選択を否定しませんし、理解します。また細川・小泉陣営が原発の是非や安倍政権敵なるものとの戦いを主要な争点として提示すること自体も、否定しません。
      ・しかし、その「やり方」で勝てるか、広く有権者の共感や支持を得られるかと言えば、そうは思いません。悪手だったなというのが、記事本文の主張要点です。
      要点としては以上ですが、以下、順番に。

      1. 自分の立場、説を明示せよとのご意見について
      記事の随所に自分の意見は散りばめていましたが、じゃあ自分はどうするのか、というレベルで船橋監督が望まれる「しっかりした」ものとは言えなかったかもしれません。
      書かなかった理由としては、1)選挙後に海外在住者が「俺ならこうした」といくら言っても後出しジャンケンと見られるだろうという懸念、2)自分の主張を強く書き記すことで記事全体の構成がまとまらなくなること、より長文になること、結果今回の記事で一番伝えたかった点(後述)がぼやけるだろうという懸念がありました。その点ご理解いただければ最ウィアです。
      しかし、本コメント欄で、船橋監督との1対1の対話となり、ご要望もいただきましたので、以下簡潔にですがお答えします。
       支持する候補者、投票先をどうするかという点では、まず、細川氏を支持しません。理由は本文中にある通り原発事故と放射線被害に対する認識の危うさ、それからもうひとつはご高齢すぎるという点です。では誰を支持するのかと言われると、難しいです。現実的投票として消去法で消極的舛添氏支持?となるか、当選はしないだろうが示威的投票で家入氏支持?とで迷ったであろうと思います。舛添氏は、船橋監督が懸念されるところの過去の女性蔑視ととられる発言など、いくつか懸念あるものの、総じて手堅い行政運営が期待できそうです。原発については、unclearです。彼のウェブサイト上では「原発に依存しない社会づくり」と、基本的には脱原発路線を表明しています。自民の支持を受けている点から、政権を取ったあとどう触れるかわからないという心配はあります。が、彼の性格上、中央政府安倍政権のイエスマンにはそう簡単にならないのではとも思います。家入氏は、年齢の若さという点で期待して、今回はひとまず示威的投票で応援する、となったかもしれません。しかし記事本文にも記した通りの懸念がありますので、諸手を挙げて応援する気にもなりません。最後は、どうなったでしょう。迷った末「エイヤ!」でどちらかに投票するか、棄権したかでしょう。ですが、東京に住んでいて、現場の熱狂に身を置けば、また今の僕と違う感情・思考となったでしょうし、これ以上はたらればの議論となり答えが出ません。
       ”投票を棄権するほど状況が危機的であれば、どうすれば状況が改善するのか”というのは、つまり投票以外で僕はどうコミットするのかというご質問かと思います。船橋監督がポリタス記事で主要論点とされた「戦争回避」と「脱原発」に絞ってお答えします。前者については、記事本文にも書きましたが、ゼロイチの特攻選挙よりも、市民レベルでの地道な経済・文化活動を通して、層の厚く幅の広い理解と連帯を作っていくことを選びます。原発政策に関しては、僕の上記の逡巡と関係なく舛添氏が勝利したであろうから、彼が知事になってからも引き続き睨みを聞かせ、問題が見つかれば選挙以外の手段(アドボカシー、世論喚起など)で働きかけるぐらいしかなかろう、と思います。

      2. 船橋監督のお考え、細川・小泉陣営の主張について
       表層をなぞった揚げ足とりだとのご批判をいただきました。船橋監督のポリタス記事は複数回に渡って読んでおり、またFBでもフォローしているため、選挙期間中の他のご発言も追っておりました。細川氏の政策は公式ウェブサイトで確認しましたし、ポリタス他の媒体を通して、海外にいながらも追える範囲で情報をインプットしていました。上記、僕の考えを書きましたが、当然、船橋監督や、細川・小泉陣営の主張を否定するものではありません。ただ、価値観や優先順位が異なるというだけのことです。監督のポリタス記事を拝読しましたし、現在の政治状況に憂慮するところも理解します。脱大量生産・大量消費社会、脱成長至上主義的な細川氏のビジョンも、理想としては共感します。また、一例として選挙外の僕のコミットメントをお見せしますと(http://awai.jp.net/works/ )、東北地方を中心に、小さな単位から新しい経済・文化活動を生み出す動きに関わってもいます。ただ、都知事選のアジェンダセッティング、政策優先順位としては、監督や細川氏とは異なる考えとなりました。

      3. メッセージの「受け手」はどう思うか
       監督のことをアジテーターと評しました。言われた側からすれば「酷い切り捨て」と感じられるのは当然でしょう。その点は申し訳なく思います。ただやはり、受け手として、そう感じてしまった、ということは仕方ありません。事実です。”誰に投票しなければいけない、〜〜は最低だ、という言い方は決してしないよう自戒していましたし、持論を絶対視する人間は逆に危険だと思っています。”とおっしゃる通り、船橋監督は高い倫理規範と自制心のもと言葉を選ばれていたのだとは思います。アジテーターと評しましたが、当然のことながら人格否定ではありません。気になった、というか僕にとっての「怖い」の決定打は、ケネディ駐日大使への呼びかけの形を取った桝添氏批判の投稿です。 
      https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10202123705748959&set=a.3068021174327.2136218.1077481271&type=1&stream_ref=10 
      過去の彼の発言内容自体は問題だと思います。しかし、本人に直接追求し、過去・現在の見解を問いただすより先に、外国の関係ない大使を動員してネガキャンを張り、英語での情報拡散を呼びかける振る舞いは、アジテーションと感じざるを得ませんでした。
       ここまでは僕の感じたことです。僭越ながら付け加えると、受け手の価値観や印象が自分たちとは異なりうる、ということを想像した上でのデリバリーを取れなかったことが、総じて細川陣営の敗因、多くの有権者の支持を得られなかった原因なのではないかと思います。わざわざFBスレッドを通して船橋監督ご本人に直接記事をお届けしたのは、「敗因分析」が必要だとおっしゃっていたからです。繰り返しますが、船橋監督の主張や見解、細川・小泉陣営のアジェンダ・セッティングそれ自体を否定しません。自由です。
      しかし、
      “都知事選挙の真の争点とは何か。それは、都政を通して、今の国がひっそりとかつ全力で向かっている戦争と原発再稼働に対して、強烈なNOを突きつけることである。”
      “舛添氏を信任するということは、安倍政権を信任するということです。”
      このようなことは、多くの有権者の意識からは乖離していたのではないかと思うのです。
      原発問題は、都知事選の有権者にとってはどうにも答えの出しにくい複雑な問題です。一人一人の心の中ではもやもやしていて、考える時間がもう少し欲しい、白黒はっきりつけられない、そういう有権者も多かったのではないでしょうか。理想の社会像よりも、目先の電気代があがれば困るなあという現実問題を心配する人も、船橋監督からしたら残念かもしれませんが、少なからずいたでしょう。

      選挙を通じて、原発について議論し、考える機会が生まれることは良いことだと思います。だけど、その考え方やテンポには、幅広いグラデーションがあります。今回は、船橋監督や、細川氏、小泉氏の考え方とテンポに、ついていけなかった人がそれなりにいたのではないかなと、推察します。それこそ、「原発はなんとなく怖いし、なくなったら良いと思う」けれど、”具体的で未来の見える改善策を考え抜く”だけの”リサーチと思考”をする余裕もなく、急に白か黒かで問われても「ちょっと待ってよ」となってしまうような人も、いたのではないかと思います。

      “選挙も政治も人間のやること。政策・政局への論理的分析と、現場に入る人間の感情をともに受け止める感性が、より近くなったようで実は断絶が広がりつつあるインターネット時代に必要だと感じています。”
      末尾の監督のこの言葉に、僕も同意します。

      返信
  2. YT on

    同じく、海外で生活しており、今回の都知事選挙を外から見ていたものです。
    興味深く読ませて頂きました。共感することが多かったです。

    また、船橋淳さんがコメントを残していらっしゃいますが、船橋さんのおっしゃっていることも理解できます。想いにも共感します。

    ただ、外野からのヤジとの表現がありますが、実際そうなんじゃないでしょうか?外野から見ると、本当にそう見えた。というのが私の正直な印象です。
    船橋さんの想いとは裏腹に、過激なアジテーターという印象を受けていたのは事実です。
    むしろ、ここのコメントを読み、印象が和らぎました。

    「外野からどのように見えるのか」というのも大事な視点の一つであり、外野の指示を集めることも、何か活動する上で重要なポイントだと思います。

    外野の意見は、外野の意見として参考にするべきではないかな、と思いました。

    特に名もない一般人ですが、外野であるものの、今回の都知事選に対して興味を持った一人として、コメントさせて頂きました。

    返信
    • yuhei on

      コメントありがとうございます。船橋監督に先ほどお返事しましたが、概ね記事の要旨はYTさんのおっしゃる通りで、「受け手」に対する想像力が欠けているのではないかという点にありました。家入陣営に対するガッカリ感や、投票に行くことへのプレッシャーをかける人々への違和感を並置したのも、同じ文脈です。

      返信
      • YT on

        返信頂き有難うございます。
        家入さんに関しては、私も同世代なので応援したい気持ちも強かったのですが、彼の発信するメッセージが、あまりにマイノリティに対するものばかりなので、残念だなぁと感じていました。しかも属性的な話というよりは、自らをマイノリティだと感じていて、居場所がないと感じている人へのメッセージ。それ自体は素晴らしいことなんですが、選挙に勝つという目的とは乖離しているように感じました。

        ビジネスを起こすということや、長期的な目線でムーブメントを起こすという意味では、マイノリティ、つまりニッチなところから動かし、大きなうねりに変えていくというのは手法としてあると思うのですが、今回の選挙については、期間も限られているなかで、マジョリティを動かすことを考えるとアプローチが違うかなという印象でした。

        また、世代間抗争のような形になっていってしまうと、メディアの報道も若者VS高齢者という2極化を煽るでしょうし、インターネットではなく、主にテレビを情報源としている高齢者の方々への影響は深刻になるだろうなと感じます。

        特にメディアは、必要以上に世代間抗争を演出して報道すると思うので、家入さんは自分が思っている以上に、上の世代との対話をアピールしていかないと、支持は伸びていかないだろうと思います。

        ただ、今までに無いムーブメントが始まりつつあるのも感じるので、うまくハンドルして大きなうねりに変えていってほしいな、と思っています。

        返信

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