もらいたばこのほぐれてゆくか

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煙草は、吸わないけど、吸える。

ひと月かふた月にいっぺんぐらいで、もらい煙草を1本か2本吸うことがある。多くを語らうでもなくかといって退屈でもなく、ほどよい心地よさでぐだぐだと続く類の飲みの席、つまみとビールだけで胃袋が埋め尽くされつつある頃に、それまでも出たり入ったりを繰り返していたスモーカーたちについて行って、外で1本拝借するのである。

とはいえ、実際そのようなお相伴をするようになったのはごく最近のことで、まだ総数5,6本といったところだろう。
 
 
父がヘビースモーカーだったので、幼いころから受動喫煙の英才教育は受けており、煙草や喫煙者自体には全くの抵抗がなかった。しかしながら、母と姉から家で散々顰蹙を買っていた父の喫煙姿を見て育つのと並行して、社会の嫌煙ムード、タバコ規制や増税、健康教育etc.が進展し、日増しに世の中のスモーカー達の形見が狭くなっていったので、わざわざ自分も煙草を吸おうとまでは思わなかった(初めての恋人が煙草をものすごく嫌う人だった、というのも影響しているかもしれない)。
 
 
初めて貰い煙草をしたのは、今年が明けて、1月か2月かの寒いニューヨーク、新しい、だけど3ヶ月もしないうちにお別れになるルームメイトから。音楽と絵をする歳上の人たちで、僕はふたりの纏う空気が好きだった。最初、煙を肺まで入れるのだとも知らず、口で吸って吐いていた。その後、加減を知らず思いっきり肺に入れて咳き込んだ。
 
 
 
その後、日本に帰って数えるほど。相変わらず自分では買わないが、まぁまぁ様にはなってきたんじゃないかと思う。
 
 
昨日は会社の連中に貰った。場末の安居酒屋、ガラス張りの明るい店内で騒ぐ女性陣をテラスで眺めながら、出口も入り口もない話をした。
 
 
人通りの減った夜の通りに煙を泳がせ、仕事の鬱憤も別離の哀しみも一緒に流し、あいだに漂うけだるい空気に身を委ねる。
 
 
3本目が焼きほぐれて短くなったころ、煙にまぎれて夏のにおいがした。

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