ブログが全然書けなくなった話、あるいはゴーヤチャンプルー

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ブログを全然書けない身体になっていて困った。

いや別に実生活上困っちゃいないのだけれど、こうやってWordpressの編集画面を開いたものの、ぜーんぜん指が動かないのである。

「しばらくブログを書いていないし、今日は書こうかな、書きたいネタは色々あるんだよな」とかなんとか考えながら、仕事帰りに家でパソコンを開いては閉じ開いては閉じ、の日々が続いている。かれこれ○ヶ月。

はい、ここまでたかだ175字である。ここまで書きすすめるのに、Twitterを開いては閉じ、Facebookを開いては閉じ、牛もびっくりギュウ歩の極み(二重の極みは『るろうに剣心』)、ブランクというのは恐ろしい。ブランクっつったって別にこれで食っちゃいないし、ほんとになんにも困っちゃあいないのだが、やはり書く筋肉というのは衰えるもので、『バキ』のマホメド・アライがヘタレ息子Jrをはったおすためのリハビリとしてロードワークならぬ“ロードウォーク”から始めたなんていうお話を思い出すところであります。
(マホメド・アライは故モハメド・アリのパロディキャラです。合掌)

そうは言っても、文章を書かなくなったというわけではなくて、読む・書く総量についてはむしろ日に日に増しているところであり、なぜかというと会社の仕事がウェブメディアの企画・編集になったわけで、上がってくる原稿を編集しては公開し、差し戻してはコメントし、また編集しては公開し、の日々である。
(メディアといっても記事を出すだけでなく、その他いろんな機能がついた幕の内ポータルサイトなので、日々日々新サービスの実装に向けて人を集めたりデータを集めたり整えたり整えたりあれやこれやと四つん這いでプロジェクトを並走させていたりする)

去年一年は会社員なのにほとんどピン芸人みたいな動き方していたから、固定のメンバーでチームが組まれて、数年先も見据えながら一年スパンでどっしりと腰を据えてサービスと向き合える、という環境は久々に、面白い。これまで(というか今もやってるけど)個人事業で細々とライター業をやっていたことがこんなところで役に立つとは、という手応えもあるし、そうはいっても「編集者」として立つ、ライターに対して自分が意図を持ってフィードバックする、という役割を本格的に担うのははじめてでもあるし、事業として色んな責任を背負ってやっていることへの緊張感もある(「読み手の立場に立つ」とか、「論理の橋がかかってない」とか、「読み手に何を持ち帰ってもらう」だとか、どの口が偉そうに言ってんだって話だが)。

そんなこんなで四六時中、“仕事”で書いたり編んだりしておるのだから、別にブログなんか書かなくったって、困りはしないのですよ。たぶん。
 
 
 
仕事の処理速度は速くなったし、社会人的ビジネスパーソン的アラサー的あれやこれやの立ち回り・調整・コミュニケイション、のスキルアップ、はしていると思うのですけど、ねぇ。

日々”充実”してんだけど”充足”していない、感じ。そんな感じよ、アナタ。
 
 
 
(この間、ゴーヤチャンプルーを作って食べる)
(うまい。ここに金麦があれば完璧なのに、買い忘れた。おばか)

ニューヨークで留学していた頃の友人が一時帰国していて、もうすぐまた戻るというので、昨日ランチをした。
最近、短期でお仕事に関わってくれている人と、今日ランチをした。

共通して話題となったのが「流行りのワークショップ的なもの」への違和感であった。
 
付箋をペタペタ貼って、課題が見えてきましたねー、学びがありましたねー、シャンシャン的なやつ。

決してすべてのワークショップがそういうものではないし、むしろそうやってラベリングして揶揄することこそ避けるべきことなのだけど、存在を揺るがされるような波乱のない「予定調和」は、それはほんとに「学び」や「気付き」があると言えるのかしらねぇ、と。

そんな話をしながら、「そういうお前こそが一番、予定調和に甘んじているのではないか」という、内なる声が聞こえてきた。

嘘である。今風に言えば「秒で」嘘である。

そういう警鐘も自ら鳴らすこともせず、したり顔で「巷のワークショップ的なもの」を揶揄するぐらいには鈍感になっていた。

こういう状態を「呼吸が浅くなっている」と表現すれば、身体性と感受性が高そうに見えるけどいまの私がそういうことを言うと厚顔無恥も甚だしいので、それはさすがにやめておこう。往年の名曲で筆を置こう。

ひとごみーにながさーれてー かわぁってーゆくわーたしをー あなたはーとぉきどきーとぉーくでーしかってー

明日は華金

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