川内村に行った日のこと。ばあちゃんの梅酒

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「線量低いのは確認されたから作付しても大丈夫ってことだげど、子どもに福島のもんは食うなって言われたから、ずっとやってた田んぼも畑も、やめちゃったんだよねぇ」
川内村で出会ったおばあちゃんは僕にそう話してくれた。
東京に帰ってきた僕の部屋の枕元には、そのおばあちゃんからもらった、13年モノの梅酒の瓶が置いてある。

福島医大での研修プログラムの一環で、医師・看護師の方と一緒に健康相談会を実施した時のこと。6月12日(水)、朝早くに福島を出て、双葉郡の川内村へ。

川内村は、こんなところにある。この画像の下の方。村の一部は福島第一原発から20km圏内に入っている。
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福島民報 minyu-net「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」区域(2013年5月28日現在)

2011年3月16日に村長より「全村避難」指示が出され、村の人びとは郡山をはじめとした県内外へと避難した。その後、放射線量が比較的低かったことから2012年1月31日に「帰村宣言」が出された。上記のように一部区域が放射線量に応じて避難指示解除準備区域と居住制限区域に制限されているが、帰村宣言から1年が経った2013年時点で”村民約3,000人の内1,163名(2012年11月現在、週4日以上村内生活者)、4割が帰村”している(参照)。

川内村のウェブサイトは、通常のものに加えて東日本大震災特別サイトも存在している。遠藤雄幸村長による「帰村宣言」や、「帰村宣言」から1年後に発せられた村民へのメッセージも全文読むことができるので、是非訪問してみてほしい。(正直、役所や自治体のページって見にくいものも多いのだけど、ここはとてもすっきりデザイン)

帰村に向けた取り組みの中で、村長を中心に、何度も村民との懇談会・説明会・相談会が実施されたらしく、村に帰る人、様子を見る人避難先の都会で暮らすことを選ぶ人、それぞれの感情や考えを尊重した丁寧なコミュニケーションがなされていることが、これら村長からのメッセージ文面からも強く伝わってくる。

農業のこと。一般食品の放射性セシウムの規制基準値100Bq/kgを大幅に下回る結果が出たため、今年度から米の作付が再開されている。

同原発から約20キロの川内村は2011年度、緊急時避難準備区域や警戒区域に指定され、稲の作付けも制限された。しかし、村の放射線量は比較的低く、秋元さんは「作らなければ放射性物質が含まれるかどうか確かめられない」と、村で唯一稲作した。収穫したコメからは放射性物質は検出されなかったが、販売はできなかった。
12年度は村が30枚の水田で試験栽培。1枚で国の基準値を大幅に下回る1キロ当たり7.7ベクレルの放射性物質が検出されただけだったため、今年度は原発20キロ圏内を除く全域で、全袋検査を条件に作付けが許可された。―福島原発事故:川内村で初の出荷用田植え始まる
毎日新聞 2013年05月12日 22時06分(最終更新 05月13日 09時16分)

 
背景の話はこのぐらいにして。

そう、おばあちゃんとの健康相談の話。
子どもには食べるなって言われるし、発表では作付しても大丈夫だって言われて、実際のところどうなんですか、という質問。
僕は医療者ではないので、「なんか最近心配事とかないですか〜?」と問診して回り、お医者さんのもとに通して健康相談に同席する役割。医学的観点からの実際のアドバイスは担当のお医者さん・看護師さん・放射線技師さんが担当する。

相談を受ける側の立場としては、医学・疫学的観点に基づいた視点の提示はできても、特定の行動を押し付けることはできない。今回のケースでは、計測された放射線レベルなら身体への影響は心配しなくて良い程度に低い、ということは言えても、だから作付をすべきだ、とか、意見が異なる子どもや孫に対しても食べさせるべきだ、なんてことは当然言えない。

おばあちゃんと、その子どもや孫との関係に僕たちが立ち入る権利など無いし、そもそも「正解」などありはしない話だ。
(放射線による生体へのリスクはこのぐらい、という話はできても、そのリスクをどう捉えるかは個人によって違うから、価値観についてはどちらが正しいという話ではない)
 
担当のお医者さんが、医療者としての立場から、言えることだけを言って、あとはそのまましばらく、相談がてらの世間話を聞いた。 
 
「震災の前はね、毎年採れた野菜を近所で分け合ったり、子供や孫に食べさせてたんだよ。梅酒も毎年漬け込んで。そういうのも全部やめちゃった」
「子供に言われたから作付もやめて、お米や野菜はスーパーで買って食べてんだけども、あんまり美味しくないんだよねぇ。やっぱり野菜は採れたてが一番美味しいのよ」

僕も石巻・牡鹿にいたころ、地元のおっちゃんおばちゃんから海の幸・山の幸をたくさんいただいたけれど、やっぱり農村・漁村で自然と共に暮らす人たちにとって、採れたものを分け合うこと、その過程で話し笑い合うことはかけがえのない財産なのだと思う。

僕たち人間の健康に影響を与えるのは、放射線や化学物質、細菌やウイルスといった環境・生物的な要素だけではない。貧富の差とか教育とか、生活インフラ、それから、人との繋がり―ソーシャル・キャピタルや、仕事や役割―生き甲斐を持つことなど、社会・経済的な要素も確実に影響している。

今回の原発事故がもたらした被害は、放射性物質の拡散、被ばくによる身体への直接のダメージだけではない。
むしろ、事故に伴っての避難や生活区域の再編、個々人の意見の相違による、社会・経済レベルでの分断の方がよほど大きい。
それまでは仲良く暮らしていた村の近隣住民同士、家族や恋人同士が引き裂かれてしまう、そのこと。

放射線の話以外にも、長時間座ってから立ち上がって歩くと膝やふくらはぎが痛むとか、重い物を持つと腕が内出血してしまうとか、そういう、身体の調子の相談も受けた。旦那さんも亡くなったから一人暮らしらしい(理由や時期は聞いていない)。田舎だから病院も遠い。老いに伴う身体の衰弱は、誰にとっても不可避で当然の流れといえばその通りかもしれないけれど、医療機関へのアクセスが悪いなかで、弱った身体を抱えて過疎地で一人暮らしをすることの方が、放射線被ばくなんかよりも、正直よっぽど心配だ。
 
   
「健康」とはいったい何だろうと、考えさせられる。
それは、「医学」のみによって達成されるものなのだろうか。
それとも。
 
 
 
「家の前の木に毎年梅の実がなって、それを梅酒にするのが趣味だったんだよ」 
話している途中で、おばあちゃんは涙ぐんでしまった。

「おばあちゃんの梅酒、飲んでみたいなぁ…」
僕はそこで、ぽろっと言った。

「え、梅酒飲みたい!?昔漬け込んだやつがまだあんのよ。今から取ってくっから。ちょっと待ってて!」
ばあちゃん、ぱぁっと顔が明るくなった。ほんとに驚くぐらい。

健康相談は村内のデイサービスセンターで実施したのだけど、ばあちゃん、わざわざ車で家まで梅酒を取りに帰って、そしてまた戻ってきてくれた。ついさっき、膝が痛いとか、重い物持つと腕が内出血しちゃうこととか、言ってたんだけど。

で、梅酒をもらったんだけど、これがずしりと重い。よくあるあのガラスの瓶の、でっかいやつを丸ごともらってしまった。瓶の蓋に漬け込んだ日時が書いてある。平成12年に漬け込んだものだから、当然震災よりずっと昔。13年熟成。

年齢を聞かれて25歳だと答えたら、孫とちょうど同じぐらいだって。
東北の農村漁村に行ってると、そういうことがよくある。

結果的にばあちゃんは来た時よりも笑顔になって帰っていってくれた。
それで、友達にこの日の話をしたら、「相変わらずの孫力だねぇ」なんて言われて、苦笑いするのだけど、当然ながら僕はほんとの孫ではないわけで、川内村の村民でもない僕は、こうして東京に帰ってきて、自分の日常に戻るのであり、このばあちゃんと息子さん、お孫さんとの関係が、この先どうなるかについては知る由もない。知ったところで出来ることもない。

他人にできることなんてその程度だよ、とは分かってるけど、さ。
 
 
 
そんな梅酒が僕の枕元にある。
でっかい瓶だからまだまだたっぷり。
これが実に旨いんだ。
みんなにも飲ませてあげたいよ。

そうだ、ばあちゃんにお手紙も書かなきゃ。
文の月。

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