石巻をおもう

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1年以上お世話になっていた石巻の木の屋さんのビルの取りこわしが終わり、ついにそこが更地になったということを里奈さんの写真投稿で知った。コメント欄に「お世話になりました」と書いたところ、りなさんの返信コメントが、「君の第二の実家ですよ」であり、そこで、「あぁ、そうか」と思ったのだった。建物が取り壊されても帰るべき場所は今でもある。迎えてくれる人はいまでもいる。木の屋さんはめでたく新工場も完成し、りなさんも日和山の上の見晴らしの良い素敵なお家でシェア暮らしをしている。だから、建物が取り壊されたからといって喪失感や寂しさというものはそこまで感じないのだが、それでもやはり、色々と思い出す、お世話になったビルだ。

木の屋の方々とはじめてお会いしたのは2011年の6月、東京から石巻に引っ越した直後のこと。すでにともひろさんやちづるさん達がボランティアを受け入れて手伝っていた、泥だらけの缶詰拾いをする。帰りに伊藤さんからサバ缶をいただいた。本当に美味しかった。木の家さんはビルの5階ワンフロアを貸してくださり、そこが事務所兼ボランティアの受け入れ・宿泊所となった。当時の石巻はまだまだ瓦礫も多く残り、漁港や、道路の側溝にはヘドロが溜まり、そのためハエが多く集まった。暑い夏の季節、天井からハエ取りテープを吊るしながら過ごした。

秋にベランダで、七輪を使ってサンマを焼いてみんなで食べたことを思い出す。僕は火を起こすのがヘタで、「生きる力が足りへんなぁ」などとともひろさんにからかわれた。ベランダからは、日和山と日本製紙工場の煙突の間に沈む夕陽を眺めることができた。9月の終わりには、足手まといだった僕もようやく運転免許を取り、同じ頃にむっちゃんと一緒に牡鹿半島へ通いだした。むっちゃんのiPodに入っていたクラムボンは、牡鹿の山の緑と海の青によく合っていた。

11月にはいよいよOCICAがデビューをした。牧浜のお母さんたちが削って磨く前の下処理として、鹿角を輪切りにするのだが、当時はベランダで自分たちでやっていた。ホーマックに何度も通い、グラインダーや電動のこぎりを揃えて工作した。角は削ると粉塵が飛び、温度上昇によって焦げ臭いカルシウムのような臭いが全身につく。お客さんにもよく手伝ってもらった。冬は凍えるような寒さで、終わってから車内を鹿角の臭いで充満させながら、近くの銭湯へ駆け込んだ。

年が明けてからはお客さんが増えた。日本各地、北から南から、友達や、その友達。ボランティアとしてではない。なんだろう、ただ一緒に同じ時間を過ごした。仕事場兼キッチンとなった大きめの部屋には炬燵が持ち込まれた。牡鹿半島から車で帰ってきて、みんなが炬燵で暖まりながら話をしたりパソコン仕事をしている間に、僕はミルで豆を削って珈琲をいれた。2回、3回と来てくれた友達が珈琲豆を差し入れしてくれたことも多かった。夜にはみんなでご飯を作り、ホットプレートや鍋を囲んだ。一ノ蔵や浦霞を呑んだ。事業が軌道に乗ってくると現場以外の事務仕事ー商品の梱包や発送、メールなども忙しくなった。牡鹿半島から夕方に帰ってきてから仕事をするとあっという間に夜になる。「もうちょっと…」と言いつつ炬燵で横になる。多田さんに「お前それそのまま寝るぞ、絶対寝るぞ」と言われ、「そんなことないですよぉ」と生返事をしながら、案の定朝まで炬燵で寝るのであった。

いただきものも多い職場だった。秋田の松橋さんからはお米や野菜、郡山の井上さんからお魚、高知のふくちゃんは春に採れたてのふきをそのまま持ってきて天ぷらにしてくれたっけ。全国各地のお茶菓子は牡鹿のお母さんたちのところへ持っていくと喜ばれた。作業が終わってからみんなでお茶っこをした。お客さんからだけではなくて、石巻・牡鹿でお世話になっているみなさんからも。三浦さんからは鹿肉、木の屋のゆうやさんから鯨肉。ある日の夜にとつぜんたい子さんが訪ねてきて、たっぷりの牡蠣とムール貝をバケツに入れて持ってきてくれたのにはびっくりした。チエさんには何度も手作りご飯や採れたての魚を差し入れてもらった。鮭のマリネとかはらこめしとか、NYにいる今でも食べたくなる。そんなチエさんたちマーマメイドがはじめた鮎川浜の「ぼっぽら食堂」のお弁当が美味しくないはずはなく、去年7月のオープン以降、とても繁盛している。かずえさんからもらった大きなタラは、さすがに友廣さんや多田さんでも捌ききれなくて、ビルの隣の木村社長とやすこさんの
お宅にいって調理していただいた。あの時のタラの三平汁の味は忘れることができない。

1年遅らせた大学院留学のために石巻を経ったのは去年の8月の終わりのこと。OCICAの本を完成させるためギリギリまでバタバタしていて僕には余裕がなかった。でもこの頃には大学生がインターンとして来てくれていて、とても助けられ、頼もしかった。

NYに移ってから、石巻に里帰りをしたのは都合2回になる。今年の年初、最初の学期が終わって一時帰国していた頃、正月明けに2日間だけ。年末年始には本当に色々なことがあって当時の僕はずいぶん疲弊し落ち込んでいたと思う。それはきっとみんなにも伝わっていたのだろうけど、変わらず出迎えてくれた。2回目は7月の下旬、これまた土日に2日間だけ。やはり里奈さんが色々みなさんの予定を調整してくださり、牡鹿半島・石巻・河北と行脚の旅。帰国したのは5月の終わりだったけど、神戸の実家に帰り、福島で3週間を過ごし、それから東京での仕事が始まってバタバタしていたから、結局帰国してから2ヶ月も経っていた。牧浜の豊島区長に「なんだおめぇ日本さ帰ってきでたんなら一番に顔見せろぉ」と言われ、河北の三浦さんには「お前全然電話もメールも寄こさねぇから俺忘れちまったよ」などと言われ、浜のおかあさんたちには「なんかちょっと大人っぽくなっだねぇ」と驚かれ、朝から晩までお腹をいっぱいにして過ごした。

先月、木村社長が息子さんと一緒にNYに旅行に来てくださった。4階に滞在して活動されていたナディアの富田さんと一緒にご案内した。ヴォルフギャングでステーキを食べ、「マンマ・ミーア!」を観て、Bule Noteでジャズを聴き、ご機嫌で鼻歌まじりの社長と一緒に夜のマンハッタンを歩いた。嬉しかった。とても嬉しかった。
(ところでOCICAはここNYのグッゲンハイム美術館でも販売が始まったようだ。)

石巻は、僕が大学を卒業して最初に過ごした地であり、また社会人としての最初のお仕事をした地である。地元の人たちと比べたらもちろんのこと、つむぎやの中でも僕は最年少であり、とにかくたくさんお世話になり、かわいがってもらった。「大人っぽくなった」と言ってもらえはするものの、おっちょこちょいな性格は変わっておらず、きっと僕はここでは相変わらず「弟」であり「息子」であり「孫」であるのだと思う。たとえビルのあった敷地がまっさらになっても、住民票を抜いて「アメリカ合衆国在住」になっても、みんなのことを、石巻のことをおもう気持ちは変わらない。

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