避難所暮らしも長田の火事も知らない

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阪神淡路大震災の「被災経験」について、僕は語るほどのものをほとんど持たない。それは非日常と言えば非日常だったのだろうけど、大変だったのは大人たちで、当時小学1年生、7歳のちびっ子だった僕はお気楽そのものだった。

我が家は幸いにして地震の揺れに対しても無事だったから、お家が倒壊してしまった友人2家族が避難してきて、けっして広くはない我が家で彼らと15人以上の大家族共同生活をすることになった(それがいつ頃まで続いたかさっぱり覚えていない)。その友人家族の子どもたち(全員1〜2歳ぐらいしか違わない)と一緒にプロレスごっこやあやとりやゲームボーイ(初代の白黒のやつね)で遊んだことや、自衛隊の配給でもらえるパンのうち、クリームとジャムが一緒に入ったミックス味のコッペパンがお気に入りだったとか、そんなかわいい思い出ばかりが残っている。大人たちは、川までせっせと水汲みに行ったり、配管を修理したり、その他色んな苦労をしていたのだろうけど。

そんなわけで、地震発生後からの鈴木悠平少年の生活といえば、合宿所のような家の中と、そこから徒歩5分のコッペパン入手ポイントと、それから直に授業が再開された、山の上にある小学校の3ヶ所、実に半径1kmで収まる程度の世界だった。だから、阪神高速道路の倒壊とか長田区の火災とか、そういった象徴的な「絵」は、直接自分で目にしたわけではなくて、毎年放送される何らかのドキュメンタリー映像や、学校で配られる記念文章に載った写真を通して、知識として遡及的に知ったに過ぎない。マクロな意味での「震災被害」の規模・様子とか「復興」のプロセスも、あんまり知らない。地元民としてなんとなくある共通認識や、積極的に勉強しないでも勝手に入ってくる知識を持ち合わせている程度だと思う。

見知った人々の、1月17日前後のFacebookポストでは、震災にまつわる経験談や、その後の自分の人生への影響、今の想いが様々に語られていた。なかには、「あの日がきっかけだった」と自分から語れるだけの、今の自分の価値観や暮らしや仕事との明確な結びつきが意識されている人もいたけど、僕にとっての神戸の「被災経験」はこの程度のもので、その後の人格形成や生き方への影響を認識したり意味づけたりするだけの重みや手応えはほとんど無い。

勿論さすがに、記憶として完全に震災の日付がすっぽ抜けるなんてことはなかったけど、普段の生活で意識することなんてほとんど無く、今年で何年目であるとか、今日がその日であるとか、ちゃんと毎年思い出すことが出来ているのは、まったくもって皆様のリマインドのおかげだと思う。地元神戸にいる間は、当然その日になれば日常会話や新聞・TVニュースの中で震災のことが触れられた。上京したのは大学生になった2007年だけど、ちょうどその前後からmixiが流行ったものだから、その日になれば、地元の友達が誰かしら日記で言及した。流行りのSNSがTwitterやFacebookに移った今でもそれは変わらない。初めて海外で迎えた今年のメモリアル、アメリカ時間で1月17日になる前に海の向こうのみんなが教えてくれた。「あらら、もうそんな日か」アメリカにいる間は、自宅や学校の外で気楽にネットに繋いでSNSを見ることも出来ないから、もしここ数日どこかに遊びにでも出かけていたならうっかりスルーしてしまっていたかもしれない。神戸と自分の物理的な距離が広がるにつれて、「うっかり忘れる」確率も上がっていく。単純に、それだけ時間が経った、忘れかけるぐらいに街も復興した、ということなのかもしれないけれど。それでもどうにかこうにか、今年も思い出すことができた。

そんな我が身の軽さと対照的だったのが、2011年から2012年にかけて東京や石巻でしばしば耳にした「後ろめたさ」や「申し訳なさ」の感情。

「自分だけ生き残ってしまった」
「家が残っちゃった」
「地元が大変なのに東京から駆けつけることもできなかった」
「自分は何もしていなくて申し訳ない」

こういう、彼らのようなやさしい後悔を、僕は抱いたことがない。それは、2年と18年の違いや、被災当時のそれぞれの年齢・生育度合いの違いや、物理的な被害規模や範囲の違いや、社会的なインパクトや、それから個人的な経験…それら諸々の巡り合わせの結果に過ぎないのだろうけど、それゆえに、僕がここでしているような気楽な述懐は、まだまだ彼の地では前面には出てこない。出てこないし、出てくる雰囲気でもない。でもきっと、東北にもいるはずなのだ。当時の僕のようなお気楽な少年が。

「忘れない」「無駄にはしない」という強い意志、未来への希望が燃え続ける一方で、またその裏で拭い切れない後悔や哀しみが続く一方で、成長した少年が「僕は気楽なもんでした」と白状しちゃえるような、そんな3月11日が、いつか東北にも訪れてくれればと思う。

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