表現する人とその作品に対してできること

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10年ぐらい前は、世の中には「アーティスト」という人種がいて、そういう人たちはお茶の間のテレビを通してしか見ることのない特別な世界に生きているのだと思ってた。

もちろんそんなことはなくて、実際に会ってみると、ちゃんと同じ人間である。色んな人がいるが、ともかくも生きていれば腹が減るので、メシを食う必要がある。表現だけしてもそれ自体では腹は膨れないので、色んな方法で身銭を稼いでいる。そして食っていっている。

写真家さんや被写体さんやメイクさんは、スタジオを借りて一緒に「作品撮り」というものをする。自分たちの表現を追求するためでもあるし、評価の対象となる、ひいては仕事のきっかけともなり得るポートフォリオを増やすという意味もある。しかし作品撮り自体は自費折半なので、撮られた作品がすぐお金になるわけではない。なので、雑誌やテレビや広告で、クライアントありきの仕事を請けたり、写真スタジオに勤めたりして、日々の稼ぎを得たりする。こういう人たちは、一つの生業に専従しているとも言えるけれど、表現物の自己表出性と商業性は、一部重なりつつ微妙に幅を持っている。

生活の糧と表現活動を分離している人もいる。普段は全然違う仕事をしてお金を稼いで、生活の余剰で作品制作をする。そうして作った作品自体が売れることもあるけれど、それ自体を主たる収入源としては位置づけていない。表現活動を、余暇や趣味と捉えていたり、あるいは真剣だからこそお金や商業性と分離したいと思っていたり、その動機は色々だけれど。

作品制作一本で勝負している人もいる。パトロンを見つけるなりグランツを取るなりして制作費をなんとかかき集めて、作品をある程度まとまった数作り、展示やパフォーマンスの機会を作り、あるいは営業をして、作ったもののうち2つでも3つでも、単価100万や200万で売れれば収支トントン、みたいなサイクル。NYにいる間、このタイプのアーティストの個展の手伝いを何度かしたことがある。日本から大判の作品を大量かつ厳重に空輸してNYで展示するプロセスと労力を目の当たりにして、「いやこれ大変っすわ…」としみじみ思った。結婚していて子供も2人いて、これ一本で一家を養っている人なんかも、いた。うひゃあ。

生活設計全体で考えればこの他にも色んなバリエーションがあるだろうけれど、ともかくも、作品を買ってもらうというのは大変だ。まずもって生活必需品ではないものを、欲しいと思ってもらい、財布の紐を弛めてもらうのは、そう簡単ではない。

なおかつ近年では、テクノロジーの発展によって、プロとアマの距離が大きく縮まった業界もある。代表的なのは写真。日本で知り合って、NYにもちょくちょく来られるベテランの写真家さんが、ここ数年で何人も知り合いが廃業したと言っていたのは印象深かった。昔はプロの技術でないとできなかったことも、機械が勝手に調整してくれるから、無理にプロに頼まなくても事足りる事例と領域が増えたのだ。だからこそ、写真一本でプロとして仕事を貰い続けるには、世界観とか、視点とか、文脈づくりとか、技術以外の差異が必要になってくる。それから文章も。インターネットで誰でも世界中に向けて書くことができるし、プロでなくても良い文章が出てくる。書いた原稿や本にお金を出してもらえるハードルが高くなったという点では、ライターさんや作家さんも、大変だ。

別にギョーカイに詳しくなったわけではない。でもとにかく、表現をすること、より正確には表現を「続ける」ことの大変さは昔より実感を持って理解したと思う。伴って、表現する人や作品に対する接し方が変わってきた。端的に言うと、お金や時間をより多く表現物に向かって使うようになった。もっと使えるようになりたいと思っている。

表現物を「買う」ことは一番シンプルかつストレートな応援だから、自分が好きな人、応援している人の作品はなるべくお金を出して買いたい。ただ現状のところまったくもって稼ぎが少なく、なんだったら学費で借金まみれでもあるので、すぐに買えるのは、本・CD・DVDや、ライブ公演・映画のチケットなど、販売・配信規模と利用者規模ゆえに比較的単価が低く抑えられる種類のものぐらいだ。

表現作品の価格は、制作に必要な物理的な資源・経費の多寡と、作家本人の「格」-地位や名声のセットで上下する。だから大判の絵画や書画、石や鉄の彫刻、家具や家なんかはちょっと今は手が出ないし、自分が見つけて好きになった時にはすでに売れっ子である人の作品とかは、目眩がするぐらいに値札のゼロの数が多い。そういう場合はせめて、展示会などがあればなるべく足を運ぶようにしている。そこで作品を観て感じたことを、考えて言葉にして、後日感想を送ったりするようにもしている(買った場合でも勿論そうだけど)。

だから最近は、もっとたくさんお金を稼ぎたいなぁとも思うようになった。自分のためだけではなくて、この人たちの作品にお金を使いたい、と思える人とのご縁が増えたから。

お金を稼ぐだけじゃなくて、その人達の表現する世界に恥ずかしくないだけの、感性とか思考とか、もっと言えば生き方を目指さなきゃいけないなぁと、思うようにもなった。

つまり、総合的に言って、「欲」が出てきた。お金とか贅沢に対しての欲じゃなくて、「成長」とか「投資」に対する欲と言って良いのか、これらの言葉が100%しっくりきているわけではないけど、何か、そう言っちゃっても良いような前のめりな熱が、自分の中に育ってきているのを感じる。もうひとつ言うと、自分自身が表現することに対する欲も。僕の場合は書くことで。勿論まだ全然売れてないんですけども。

作品づくりは、エネルギーが要る。それは表現する人の生命の、生き方の写し絵でもあるから。作る方も、受け取る方も、テキトーではやってられない。

作品と向き合う、向き合える自分であろうとすることはつまり、より善く生きるということなのだと思う。

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