はじまりのミルク ―中島らも『今夜、すべてのバーで』

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今夜、すベてのバーで (講談社文庫)
今夜、すベてのバーで (講談社文庫) 中島 らも

講談社 1994-03-04
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天道寺さやか。登場シーンで一気に持っていかれた。アル中で入院した主人公、小島容(いるる)の病室を院外の公園からキッと見据え、次の瞬間には彼の目の前に現れた。夢と現、入院生活と過去の放蕩を往きつ戻りつ述懐する小島のテンポにつられてまどろみかけていたところ、ビクッと目が覚めるような鋭さ。
殺したって死なないぐらいに元気で下品で喧しい「三婆」達、肝硬変になってもなお霊安室でこっそり薬用アルコールを飲む福来、チンパンジーそっくりの西浦翁、「病気の博覧会」綾瀬少年、大柄髭面でぶっきらぼうの赤河医師。そんな、年齢も性格も境遇もバラバラな彼らが生息する、外界よりもちょっと死に近い空間を、白のドレスとハイヒールで切り裂いて、生の激しさを挿し込んでくる。なんて女だ。
こういう真っ直ぐな激しさを持った女性に僕は惹かれる。自分がとんと持ち合わせていないからだ。だけどこの、さやかの強さと美しさは、一方でどこか危うい。死の呪縛とそれへの抗いによって支えられた、条件付きの強さだからだ。

連続飲酒と家庭内暴力が原因で一度は母と離婚・別居しながら、末期のすい臓がんになってようやく、余命を家族のために使うと言い出し、そして死んでいった父。酒に酔うことで死んだ父の影を追ったあげくに車にはねられた、さやかの兄であり小島の友人である天童寺不二雄。どちらも自分の生を手放して、自ら死へと進んでいった。残された若いさやかの生には、そんな二人の死者が影を落とした。
死ではなく生を、他人ではなく自分を生きる。そんな標語は何度も聞いたことがあるけれど、「自分の生とは何か」なんて、本当のところは誰にも分からない。残されたさやかに辛うじて取れる選択肢は、死んでいった父と兄の生き方/死に方を反証しながら走ることしかなかったのだろう。「こっちじゃない」と逆方向へと猛烈に走れば、確かに勢いは生まれる。だけどそれは常に背後から迫る死者の手を意識しながらの逃走劇だ。だから、小島の書いた遺書を突っぱねながら「勝手に死ねばいい」、死んだら「きれいに忘れさってやる」と言ったって、忘れられるはずがない。

酒に取り憑かれた「三人目の男」小島が、このあと本当に酒をやめられたのかは分からない。酒をやめたって人間いつどこで死ぬか分からない。しかし彼が「三十五歳死亡説」を振りきって、自ら生きることを選んだことで、死者からの逃走一直線だったさやかの人生に、ようやく分かれ道がやってきた。
トリスバーでふたり、ミルクを注文しながら「にこにこ」した笑い顔をはじめて見せたさやか。ここが彼女のリスタートなのだと思う。

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