いのち、みちのく

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1月4日~7日の間、石巻に帰っていた。

着いた日の夜、夜の闇と静寂に戸惑いを覚えた。
この街はこんなに暗かったっけ。
たった4ヶ月ぶりなのに。マンハッタンのネオンのせいか。

4日間かけて、雄勝町、石巻、牡鹿半島と、石巻市を車で回った。
石巻「市」と言われたって、やっぱりあまりに違いすぎる。
夜空を見上げれば、オリオン座はどこでも変わらず輝いているけれど。

最終日の今日、牡鹿半島から帰る道中、今までに見たことのない、薄桃と橙と水と灰が溶け合ったような夕空に出会った。
1年間、毎日毎日通い続けたこの半島にも、まだ知らない顔がある。

1年目は、みんな、無我夢中で駆け抜けた。ささやかだが、それぞれの場所で、再生への足取りや、新たなものの芽生えが始まった。前へと進んでいるんだと、希望を抱いた。それは確かだろう。僕も、その中にいた。
2年目の新年、違った立場で見渡してみると、それらの「前進」が、地域全体の復興からすれば、いかに微笑なものかを思い知らされる。しばらくぶりにこの土地を戻り、ゆかりある人々を訪ねれば、誰もが去年と変わらぬ笑顔で迎えてくれる。しかし、話していると、それぞれの土地ごと、人ごとに困難な課題をまだまだ抱えていることが分かる。表情や、顔の皺に、「2年目の疲れ」が浮かぶ。必死で走り続けた人々。自分よりみんなのことをと、いつも笑顔や優しさを忘れず振る舞ってきた人々。「無い」ことを嘆くのではなく、「ある」ものを大切に、前向きに活かしてきた人々。それだけやって、「まだ2年」。この道のりはいつまで続くのだろう。離れた僕に、何が出来るだろう。

駅前商店街の再開店舗もコミュニティスペースも増えたが、人が減って、お客さんや利用者の母数がそもそも少ない。スーパーマーケットモールがある蛇田地方へ移り住む人が増え、地価が上がっているらしい。
牧浜のお母さんたちによるOCICA製作は変わらず続いている。しかし港の牡蠣剥き工場再建の順番はだいぶ後になる。殻つきの牡蠣では剥き牡蠣の1/3程度の値にしかならない。
鮎川浜の「ぼっぽら食堂」は、多くの店舗が破壊されてしまったなかでの貴重なお弁当屋さんとして繁盛しているが、県道のかさ上げが決まれば立ち退きの危険もある。地域の復興にむけた今後の土地利用、再開発計画はまだはっきりとは分からない。

「復興」という言葉の、つかみどころのなさ。今目の前にある生活の、不安定さ。
それでも、ここの人たちは、宮城の父、母たちは、人の心配をしてしまうヒトなのだ
「アメリカさ行っでずいぶん痩せたっちゃ」と、みんな口を揃えて言う。
そして、相変わらず食べきれないほどの美味しいご飯を出してくれる。
「悠平、もっと食えー。アメリカ帰る前に食いだめしろぉ」って。
お腹より先に、胸がいっぱいになって、食いだめどころじゃない。

それで、なんでか今回はみんな一様に、死をほのめかす。
「悠平が次来るときには俺も生きてっかわかんねえぞ」
なんて言いながら、イノチを、愛を、この身に注いでくれる。
なんでそんなことを言うのだろう。何を考えているのだろう。

嗚呼、いつもの軽口で、冗談であって欲しい。
各地の神社で必死に祈った。
この人たちをお守りください。どうかどうか、お守りください。

笑顔で元気に、成長した姿を見せるつもりだった。
土産話に花を咲かせるつもりだった。
会ってみれば、急に日本語が下手になり、顔をくしゃくしゃにした。

そんな僕を見て、また、たくさんの愛が差し出される。
ちっぽけな我が身が、どれだけたくさんのイノチで満たされていることか
かたじけない、かたじけない、かたじけないッ…!
生きるんだ、生きるんだ、生きるんだッ…!

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