Ice vs. salt and shovel / 歴史へのまなざし

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February 5th Wednesday, 2014

It got a little warmer, snow melted half, therefore streets are terribly tough to walk with dirty melted water at neighborhood. I enjoyed a cup of morning latter at Cafe Martin, read articles for a while, and then went back to home to do snow shoveling. This time’s harder than ever. Despite half melt snow, surface of the street was covered with hard ice. A snow plough I usually use never worked. So I bought bags of salt for melting.

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Sprinkled the road with the salt, and waited. But it rarely helped, the ice was so strong!

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A man working at a neighbor design studio helped me with stronger steel-made shovels. We used them and attacked the ice.

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Well, we’ve done well, now the road is safe. But… soon it began raining. I guessed it would be iced again during the night. Was my work in vain? Better than nothing, hopefully.

というわけで雪かき、というか削氷作業をしたのだけど、作業中に雨が降り出して、せっかく綺麗で安全になった路上にはまたポツポツ水が溜まり、今夜の気温如何によっては水は夜更け過ぎに氷へと変わることが予想だれ、全部とは言わないまでも路面の一部はツルツルに凍ってしまうのじゃないかという話で、まったくもって山下達郎どころじゃないよという心境であります。

誰だっけか、北海道に住む人がしていたツイートを思い出した。雪国に住むと、「やってもムダな抗いだけどやらないともっと酷くなること」の重要性を雪かきを通して学ぶことができるとかなんとか、そういうの。ここは雪国というほどではないけれど、まったく同感である。Better than nothing, hopefully. 世の中の仕事の多くはそういうものなんじゃないか、と思う。若いとイノベーションだのインパクトだの息巻くけど、雪かき的、あるいは沈みゆくボートから水をかき出す作業的なものってどうしても必要で、それが辛うじて社会を支えていたりもするのだろう。

帰国日は3/10に決めてチケットも取ったから、その日までの家賃をまとめて引き出したら、ドル口座の残金が200ドルぐらいになって、ちょっと笑えた。まぁ節制すればギリギリかなというのと、日本の円口座で入金される仕事をここ数ヶ月はいただいているから、そこでがんばれって日本のクレカ払いすれば大半問題ないのだけど、3月は3月で帰省やら引っ越しやらで出費がかさむし、4月が次の会社の入社月なので4月〜5月末までは3月までの仕事の収入でなんとか乗り切らなきゃいけないし、これはなかなか綱渡りでもあって、飛行機チケットや引っ越し荷物の発送など、大きな出費の引き落とし日を、クレカの決済タイミングによって微妙にずらすという芸当が求められる。ということで、大学院も終わって自由の身、NY満喫して帰る、というわけにもいかず、シコシコとデスクワークをしながら、合間にあまりカネのかからない遊び(学生証使って美術館行くとか、散歩とか)をして、3月には最後の仕上げとして東北関連のイベントをして、そんで帰国、ということになりそうです。デトロイトとか、ニューオリンズとか、サンフランシスコとか、願わくばショートトリップしたいなとか思っていたけどとてもとても。まぁ仕方ない。

夜は3月の打ち合わせも兼ねて食事をした。こちらでの暮らしが長い人は、やはり経験的に、色々なリスク想定が僕よりはるかに広く及んでいて、勉強になる。特に社会的イシューになると、色んな視点、価値観の人が、色々なことをおっしゃるから、全方位気を配って準備していかなければならない。がんばろう。うん。

打ち合わせをしながら、その人の生きてきた歴史に思いを馳せて、ちょっとひそかに感動したりもしていた。勝手に。今日みたいに、年長の方、自分より長く生きている方とお話するとよくある。いや、歳下や同年代でも勿論あるのだけど。こういう時にrespectという言葉がピッタリなのだと思う。

これまた雪かきのところでふれた話に戻るけど、若いとどうしても「今」に思考と目線が集中しがちで、そして若いということは確かに新しいものが見えているということもあるから、役割としてそれでも良いのだろうけど、やはり歴史へのまなざしが大切なのじゃなかろうかといつも思う。若い世代(僕もその中に入るのだろうけど)からしたら古臭く非効率でナンセンスに見えることは世の中に少なからずあるのだけれど、そうなった、そうある理由も必ずあって。その歴史を全体として見つめることができれば、少しは傲慢さが抑えられるのではないかなと思う。

歳が離れれば世代論、同世代間ではリア充・出世競争、所属が違えばエイリアン。とかく世間は騒がしい。世の中そうしたものさというペシミズムと、そんなものほんとはすり抜けられるはずなのにという諦めの悪さがある。現在だけを切り取れば価値観は否めない。惚れもすれば嫌悪もするだろう。だけど、その人や自分の中に刻まれ折り重なった、個人史・社会史・人類史への眼差しを持つことができれば、どうだろう。何かを悪く言うのは、とても難しいことではないだろうか。

「そう生きるしかなかった」結果の、たとえば木綿のハンカチーフを、どう掴むことができるかな。やさしくそっと受け取れるかな。

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