Topic: Diary

One coin for one song. / 7月が来た。

July 1st, Tuesday 2014

When I was in New York City, I met with street performances everyday, indeed everyday whenever I left my room and went out to the town. Here now in Tokyo, though there are street musicians too, but less frequently I meet. The fewer prevalence, the less likely I meet such a song which I like. But today’s a good one.

When I crossed at the cross walk on a way from an office I worked today to Shibuya station, I met a street duo performing. One is a guy playing the guitar and singing melody lines, and the other guy for rap. Their song were far less noisy, but a comfortable, and somewhat groovy one. Though I don’t know which genre it is in, I felt it fit the mood of this crowded, chaotic but somewhat lovely town Shibuya. So I stopped for a few minutes and listened to their song.

When they finished the song with the rap guy calling for tips grooving on his rhyme, I opened my wallet and put my gratitude. It doesn’t matter whether it’s $1 bill or ¥100 coin I toss for the song I like. The guitar guy who looked like a Japanese said to me “Thank you,” and the other who looked like a man from abroad said “Arigato.”

6月が終わって7月が来た。鬱陶しい湿気と、度々降る豪雨、梅雨はもう少し続きそうだが、時期に夏が来る。じめじめとした東京であくせくした日々を過ごしていると、梅雨の無いNYがいささか懐かしくなることもあるが、とはいえやっぱり東京の夏は好きだ。別に張り切って海に行かなくとも、僕はビールと浴衣が日常の中にあればそれで幸せである。人がごった返す花火大会や縁日にわざわざ行かなくとも、祭りが終わって家路に着く人々を電車や交差点で眺めながら、夜の街を包む少しのさみしさを感じることができればそれで十分である。

6月はあっという間に過ぎた。人と口頭で話す時間、情報処理や事務的なメールの時間が多かったからか、日記を含め、ここで文章を全然書かないままに終わってしまった。仕事柄、話し言葉と身振りと即妙のアイデアを駆使してお子さんと向き合うため、書くこととはまた違ったコミュニケーションの筋肉は鍛えられているのだと思うが、そうは言っても、ずっとそれでは何も書けなくなってしまって、いざというときに困る。現にひとつ原稿を書きあぐねている。あまりうまくやろうとするとよくない。リハビリも兼ねてしばらくはまた日記をこまめにつけていくことにする。

写真をもっとちゃんとやろうと決めて、ランチの後に友人に練習に付き合ってもらった。代々木公園でポートレートを撮った。人物撮りと物撮りがもうちょっとうまくなると、ライター稼業をやる上でも役に立つだろう。週に1度は誰かを誘ってポートレートを撮っていくことにする。

Seeing others, seeing myself / 最近のこと

May 26th, Monday 2014

About two monthe are passing since I started my new job in Tokyo from April. Now I’m working at a private company which aims to expand each individual’s potential and open the door to education and job through their service, especially for those who have had barriers to education and job opportunities because of their disabilities, or developmental characteristics that have not been fit to the ‘standard’ systems in a current society. After a training session, I was placed at a education and learning devision, and now works at one of the private cram schools (‘juku’ in Japanese). Meeting children who comes there, I confirm the simple fact that each child passes different, unique process of development and learning, and any one of them never be ‘wrong’. Still just started, I’m highly motivated to support and boost their learning, and cultivate inclusive environment in society. And… also I look back the past events in my life, and think again my developmental characteristics and process. Though not so severe, I often feel, I’m unfit for a group, community, or society which I belong to, and struggle with that feeling. Sometimes I even feel, I’m a wrong person in society. But gradually, I understand myself better and better, and find ways to tune with the outside world. Seeing others, including children coming to the school, is seeing myself again and again.

新しい仕事を初めてもうすぐ2ヶ月になる。研修を終えて、これから本配属というところで、少しずつ新しい配属拠点に慣れているところ。お子さんの学びを応援する仕事である。うちに来るお子さんは、今の日本の学校システムのスタンダードに、あるいはそこで展開される教育手法やプロセスになかなか馴染めなかったりついていけなかったりと、悩みや生きづらさを抱える子が多い。それは狭義の、あるいは分かりやすい「障害」を抱えているといったことに限らない。うちは、一人ひとりの発達特性や、課題・悩みに合わせて、オーダーメイドで授業や教材を設計して指導にあたる。人によって視覚優位だったり聴覚優位だったり、座るのが苦手だったりめちゃめちゃ気分屋だったり、紙よりタブレットが良かったり、まぁとにかく色々なのだが、それでも火がつく瞬間、楽しんで集中できる時間、学びが進展するポイント、というのは一人ひとり、必ずある。

詳しいことを書き始めるとキリがないので、ここらにしておくが、そうしてお子さんと向き合っていると、必然、自分自身の発達特性も振り返ることになる。よくもまぁどうにか社会で暮らせていけてるものだなという思いと、過去の失敗・トラブル振り返っての情けなさと、半々。とはいえ少しずつ、着実に、自分の苦手な相手やコミュニケーション不全のパターンを理解して対応できるようになっている。

色々な人が、色々なことを言う。それぞれの人に、信念があり、その人なりに思いやりを持って言葉をかけてくれていると知っている。生き方とか、キャリアとか含めて、今すぐに応えられないことも多く申し訳ない思いもあるが、あまり外波に揺られすぎると頭が混乱してしまう。

今はたとえば、ちゃんと食べて寝るとか、朝座禅をするとか、トラブルや予想外のことがあったら深呼吸するとか、苦手なパターンや人と出会っても、一回一回分析してパターンを増やすとか、自分の状況をわかりやすく説明するとか、日々小さな結果を出すとか、自分のコンプレックスもちゃんとネタにして笑いに変えていくとか、とにかくそういうことをちゃんやって生きることを第一に考えている。

近づいた、重なったかと思ったらバチンと断絶することも、しばしばある。それは罪の意識なのか恥の意識なのか分からないけど、底の方にそれらの想い出が抜けない杭のように刺さっている。

どうしようもないけど、仕様がないなかでなんだかんだ生活は続く。

ま じ わ ら な い 人生、も、ある、あるいは、あった。たくさん。これからも、ある。それにうなづくことは、ぼくをまたすこしやわらかくする、であろう。

Commencement far away, but… / 100%の休日

May 3rd to 6th, Saturday to Monday, 2014
“Hi Yuhei! How’s it going there ? I was wondering if you are attending graduation?”
“Working hard but enjoying anyway. Unfortunately I cannot attend the graduation.”
One of my friends at Columbia messaged me and asked. It’s May, graduation season for U.S. schools. I saw lots of photo on Facebook uploaded by friends at Columbia, wearing academic gown. My program was a three semester program and I finished all the course in December 2013. Those students like me who ended the program in winter, can also attend the commencement in May. But I had been back to Japan in March and have already started working.

“When are you coming here next?”
She also asked, cos I told her and friends, “I’ll be back someday” before I leave.
“Haha, it’s too early, I’ve just started my new job, so don’t know the future schedule…but hopefully within one or two year…!”

For now, New York is a little far away than when I was there, and too expensive for me to visit casually. But, though I missed the commencement, and how long days we are apart, I believe we’re still friends, and whenever we see again we can chat and drink together, same as we did last.

「予想がつかないから生活は面白いのですよね。」
3日、土曜日。夏かってぐらいの陽気。
田端の方のシェアハウス(最近はほとんど「実家」である)の友人が、昼からシャンパンを開けたくなるぐらいだとつぶやいていて、それに反応したら、Twitterじゃなくて隣にいたらこのまま樽シャンパンの店に飛び込んでいたねという返事がきて、だったら昨晩はそっちに泊まりにいけば良かったなと返した時に彼女が言った言葉。

確かにそうだと思って、イベントやランドマークに決め打ちで行かないラフさの楽さというものが生活であり、友達であるということなのだと、いやそれはここで文章にわざわざ書き起こすと野暮だし照れくさい気もするが、まぁそういうことだ。樽シャンパンへのダイブが実際に成立しようとしまいとそれはさして問題ではないのである。

その夜はシャンパンではなく日本酒をへべれけ呑んだ。別の友人数名と前から約束していたのだが、新宿のさけくらべという、4000円で日本酒&ビール飲み放題食事持ち込み自由のスペースで過ごした。旨い酒がたくさん揃っていてね。飲み比べをしたのですよ。えぇ、酔っ払いましたね。ちなみに僕は月始めにしてすでに通帳残高が底をつきかけているという高学歴ワーキングプアなので友人のお金を借りました。すまん、月末に初任給が入ったら返す!っつって。あと20日余り、がんばれ俺。

終わってから友人が行きつけのシャレオツなバーに連れて行ってくれて、これまたごちそうになってしまったわけで、色んな話をしたけど、漠然としか覚えてない。

4日、日曜日。この日も良い天気。
足立小台で合流して、会社の先輩の車に便乗していわきへ。まさか会社にいわき出身の人がいて、しかもいわきの友人と共通の知り合いだったとは。入社して1ヶ月が経って、その前のことから色々と話しながら北上。中日を狙ったのに渋滞につかまって、いわき小名浜に着いたのは4時。UDOK.で友達に会社の先輩を紹介してひとしきり話す。そのまま奥さんのご実家の新潟に向かっていった。運転あざっす。

友達夫婦の新居が完成したというので、そのお祝いをしたかったのもあって小名浜にまたふらりと遊びに来た。引っ越しを軽く手伝って、TOHOKの南部鉄器をお祝いに渡して、一緒に買物に行って、他の友人も順次合流し、みんなで宅飲み。友達夫婦の旦那さんの方が腕を振るってくれた。東北食べる通信で届いた小石浜のホタテがどえらい美味しくて、感動。これで毎月1980円なら安い。スーパーで買ったスズキやイカの刺し身も旨かった。

「乾杯は発泡酒で良いですか。うちはお金がないので」「右に同じく!」「左に同じく!」
僕を含めてお互い稼ぎが少ねぇ身分だけど、こんな毎度のやりとりがなんとも心地良い(この日はお祝いだったので、良い日本酒とワインも開けてもらったけど)。お金がなくとも旨くて楽しい食卓を僕たちは知っている。

友達夫婦の奥さんのお腹が少しずつ大きくなっているのを見ると、感慨深い。子どもを産むって、すごいなぁ。彼女、酒飲みなのだけど、しばらくノンアルコールしか飲めない。出産と授乳期が終わってお酒が呑めるようになったら、盛大にお祝いするぞぉ。

昔の恥ずかしい話やらなんやらひとしきり話しながらだんだんと酔っぱらい、眠くなり、そのままコテンと寝た。新居宿泊客第一号。

5日、月曜日。少し肌寒い朝。
東京で少し大きめの地震があったというので、居間でテレビをつけて観ていた。ずいぶん長い尺をとって特集しているなと思った。大事には至らなかったようだが、東京だからだろう。交代でシャワーを浴びながらだらだらと教育テレビやBSのドキュメンタリー番組を観ていた。僕と1日違いで新たに2人来客があるというので、友達の車に乗って一緒に迎えに行く。渋滞でバスがずいぶん遅れているという連絡で、その間にふたりで立ち食いそば屋に行った。ごちそうになった。旨い。余計なものが何一つない、小さな立ち食いそば屋。上海やNYの話を交えて、海外での文化適応とそのがんばりの話をした。仕事の話もした。

2人をピックアップして、少し一緒にドライブしながら自己紹介、僕は途中で降ろしてもらって別の友人宅へ。実家のガレージでBBQ。途中からすんごい土砂降り。昼過ぎから始めて、ちらほらと人が増えつつも、まったりしっぽりダラダラと、結局夜10時まで続き、9時間ぶっ通しで食って呑んでいた。完全にその場のノリなんだけど、フリースタイルを練習して次回小名浜に来た時に披露することになった。ヒップホップとかほとんど聞いたことなかったのだけど、うん、やってみよう。

友達の一人、別のお家に止まってこれまたコテンと寝た。古民家、猫が一匹いる。だいぶなついた。

6日、月曜日。この日も寒い。
起きたら服がものすごくBBQ臭いのが分かる。シャワーを浴びて、港まで歩いてさすいちで朝食を取る。赤鯛の煮付けが旨かった。そのまま平のいわき駅まで送ってもらって、夜明け市場で友達に挨拶をして、コーヒー一杯いただいてバスに乗り込んだ。帰りは渋滞もそこまでひどくなく、4時間弱で着いた。普段は3時間で着くが、まぁマシな方だろう。

先日結婚した、大学の同級生友達カップルから連絡。ふたりはそれぞれ浜松と山形勤務なのだけど、ちょうど東京にいるから、もしいるなら晩ごはん食べないか、と。二つ返事で「行く!」寒いのでちゃんこを食べよう、と、中野の角力へ。ちゃんこも串揚げも牛すじ煮込みも全部旨かった。大満足。山形の美味しいジュースを貰った。結婚祝い、また今度するから期待しててね。

この二人もそうだし、小名浜の二人もそうだし、夫婦という単位で一緒にいる「ふたり」と過ごす時間が好きだ。痴話喧嘩でもなんでもそのやり取りをみて、ふたりの空気を肌で感じている瞬間はなんとも言えない幸せな気持ちになる。

そういえば典型的な「観光旅行」というのをしたことがない。地図とガイドブックを調べて、行き先を白紙のゼロから自分で調べて検討して、航空券から宿から行程までしっかりプランニングしてっていうような類の。元来出不精のインドア派なのでガイドブックを入手する時点で越えられないハードルなのである。の割にはずいぶんと色んなところに出かけて行っているな、と最近自覚して、それはなぜかというと、会いたい人に会うためだ。

僕にとっては、田端だろうと小名浜だろうと、友達と遊びに行く時に距離は関係なくて。それはNYだろうとロンドンだろうと同じ気持ちだし、まだ行ったことないけど、カイロとかウガンダとか、土地のことは知らないけど人の顔が浮かぶなら、きっと僕はどこにだって行ける。思いたった時に地球の裏側にだって行けるぐらいのお金と時間の余裕を早く手に入れたいものだけど、そのために日々がんばって働くのだよ。

Surely I need… / 夕暮れどきの空の、白んだ光が好きだ

March 29th, Saturday 2014
“Maintenance” doesn’t mean no-change. Keep changing, that only can balance your life.

After coming back to Japan, I’m still living on busy days, and have not yet completed preparation for a new life from 1st April, nor haven’t finished a few works I’m involved in. Yes, I know, life doesn’t change so easily, nor in a so simple way. Every transition is gradual process, so I need to manage my time by myself. While starting new job and life in new town (Asagaya), I need to meet finished writing and reporting, and meeting friends who welcome me back. Yes, it’s my fortunate, so many person take care of me, and give opportunities. It’s my responsibility to reply to them, and I hope to do so. Surely I need a little change.

Only one simple fact is, this is Spring. Cherry blossom and warm weather makes me happy.

午前は健康診断。中央線各停に乗って阿佐ヶ谷から大久保、新宿検診プラザへ。今日も人身事故があり、電車に遅れが出ているらしい。僕は、駅に着いた際にその遅れてきた電車に乗ったから、別に影響は受けていないのだけど。車内アナウンスを聞きながら、考えた。中央線はよく停まるが、その発生頻度と原因はどのように分布しているのだろう。つまり、電車が停まるようなアクシデントが起こるのはどの駅が多いのか、またその原因のうち、悲しいことに飛び込み自殺や転落事故による死亡・負傷がどれぐらいを占めるのか、線路上にちょっと人が入ってきたとかゴミが飛んできたとかいう、大事に至らないトラブルと比べてどれぐらい死傷事故が多いのか、それぞれのケースにおいて復旧に要する時間はどんなものなのか。そのオペレーションは。気になった。JR車内にはもちろんデータが蓄積されていることだろうと思うが、それは対外的に公表されているのか、インタビューすれば教えてもらえるものなのか。学問的にどのような調査研究があるか(実態調査か、予防・減少のための介入研究か)。都内のどこかで電車が停まるたび、その情報は瞬時にtwitterで流れてくるような時代にあって、なんなら乗客の立場としては「こんなときに人身事故かよ、急いでるのにふざけんなよ」と、余裕がなければそんな気持ちにもなる世の中に生きて、だけれどもその内実は何も知らない。亡くなった人の個人としての物語はおろか、それよりマクロな、統計上の数値、概観すら、実は知らないのだ。

もちろん日常生活でいちいち事故の詳細、たとえば死体が、どんな壊れ方をしたかなどという情報を全員に知らせていては、それはそれで社会がどんよりしたものになる。そんな懲罰的に耐えられる精神を持った人はほとんどいないだろう。だから日々の平板な「人身事故により運行に遅れが生じております」アナウンスも、社会のひとつの優しさである。

午後に田口ランディさんと村上光照師の対談イベントに行った。座禅とかみさまとほとけさま、というタイトル。ランディさんの新刊刊行記念とのこと。ランディさんを生で見るのは初めてだ。本がとても好きなのだ。想像していた以上に小さかった。それからランディさんと村上先生の笑顔はびっくりするほどかわいかった。

身の回りにスピリチアルだったりリリジャスなものに従事している人が多く、それ以外でもなんというか震災後のご縁は地方指向とかロハス・エコとか、狩猟と屠殺とか、食文化とか、ものづくりとか、舞踊とか、身体性重視な感じの人が多くて、自分もまぁなんだそっちの方向に向かっている気がしないでもないしとはいえ霊感はからきし無いしなんだけど、難しいのが僕はまだ「一抜けた」できないというか、やっぱり向上心とか反骨心とか悔しさとか寂しさとか欲とかそういう負の感情が自分を奮い立たせドライブしてくれている部分も非常に大きく、なんだ、若いんだ。要は。

だからこういう場にいて、時間を過ごすというのはいつも難しい。自分で選んで赴いているのだけど、どうも場違いな気がするし、自分にとってこういう類のものが必要なのかもまだ必要でないのかも微妙なところだ。

白金でちょっとだけ会って、桜のポストカードを渡した。
夕暮れどきの空の、白んだ光が好きだ。


うとうとしながら丸の内線で阿佐ヶ谷南駅に降りてそこから北上して帰宅する過程で横浜家系ラーメンの店があって以前から一度入ってみようかなという気になっていたのでこの際いいかと思い入って食べてみたら案の定もう僕の身体はとんこつラーメンがそんなに好きでないようでもちろん確かに美味しいのだけど単純にしんどくて最後までスープを飲みきれず「お残しは許しまへんで」の日本人的美徳を守ることもできずあーあとなって帰宅した。いつもより早い時間に帰宅した。色々やることがあるから進めようと思ったけど結局そのまま電気も消さずに朝まで寝てしまった。

それにしたって部屋が散らかっていて不可ない。家具もまだ揃っていないから本が床に平積みなのだ。

ちゃんとごはんをつくろう

Different scenery / ふたり、祝い、それからおうち

March 21st, Friday 2014

To attend my close friend’s wedding, I went to Yokohama, and on the way I looked over buildings in Tokyo from the train window. When I go through Nakameguro and Jiyuugaoka stations, I remembered that I had explained to those Japanese friends who traveled to NYC while I lived in Park Slope, Brooklyn, that Park Slope in NYC corresponds to or Jiyuugaoka or Nakameguro in Tokyo since they shared similar characteristics (quiet neighborhood, good café and restaurant, relatively higher-income residents). But, I’ve realized they are different cities. Though similar functions in the two metropolitan cities, everything is different: building, street, train, people, color in the sky… and then I again realized, I had left NYC and came back to Tokyo. Of course I don’t miss the past days. I don’t miss NYC. I don’t regret to come back to Japan. It’s not a question of which city I like better. In my life I’ve never ‘chosen’ places to live and work, I had just moved, stayed and enjoyed each time, and then moved again when I got the time. Well… so this description is nothing to do with my emotion. I just understand I’m back now, and I’ve found how I loved NYC.

「ブルックリンのパークスロープって、まぁ東京で例えれば中目黒とか自由が丘みたいなエリアでさ」なんて日本から遊びに来た友人に説明していたところの中目黒が、だけどやっぱり似ても似つかない街並みだということを見せつけられ、僕は電車に揺られそのまま横浜へ。午後からは友人カップルの結婚式、披露宴、二次会。かれこれもう7年ぐらいの付き合いになるのか、ふたりとは。

別に結婚でなくとも良いのだけど、2人の人間がパートナー関係にあって、そのどちらか一方とだけ友人なのは誰でも普通にあることだけど、カップルの両方とも知っていて、仲良しだというのはそんなに多くない。今回の2人はその数少ない友人カップルの1つで、なおかつ、2人のためなら自分にできることはなんでもしたいと思えるぐらい慕っていて大好きな、もっと数少ない2人組の1つである。

とても良い式だったのさ。

2人が添い遂げて、婚姻関係、家族関係に入るというのはとてもすごいことで、久しくそれがうまくいかないでいる僕には奇跡のように思える。とかいって、自分に引きつけて比べて考えるとどんどん自分のことばかり考えだしてしまうのは僕の悪いくせで、そうなるともう相手の話じゃなくなってしまうのだけど、今回は上述の通り数少ない僕の大好きな2人、2人として慕っている友人達の祝いの席なものだから、そんな小賢しいことを考える余地もないぐらい素直に嬉しく楽しく幸せな気持ちになった。

帰国が間に合って本当に良かった。

お祝いの品は何にしようか。

ところで2人が住んでいて、僕もしょっちゅう遊びに行き、しまいには昨年の夏、仕事での一時帰国中は居候させてもらっていた阿佐ヶ谷のシェアハウスがある。で、2人が結婚に伴い退去したので、僕が入居した。お客さんと居候を経て本住人である。このシェアハウスも、かれこれ6,7年続いているんじゃなかろうか。披露宴の席には、歴代住人とオーナーさん家族が集まっており、なんというかこう、会社や高校、大学、ご家族など他の枠でご出席の方々と並ぶぐらいの一大勢力をなしており、ここまでくると一族郎党と言って良いぐらいである。

2人が出て行って僕がちょこんと入ったわけだ。歴代住人とにもともと付き合いがあった人も多いけれど、なんだか今日は今までとちょっと違う心持ちになった。相変わらず未来は不透明の浮浪者気質で、阿佐ヶ谷にもいつまで住むか分からない。けれど、ともかくも、僕はこの町の市民として、この家の一員として、暮らすのだ。NYから帰ってきて、ここが次のホームなのだ。

そういえば僕は今まで住む場所や働く場所を、複数の選択肢の中から自ら「選んだ」ということがない。来たご縁を受け止めて、の繰り返しである(その意味では自ら意思決定しているけれど)。そうしたもんかな、とも思うが。

風は吹いたり止んだりする。

Any day, any time

Somewhere within the last days

“You’ve not been here long time.”
At Cafe Martin, beginning of March, He said to me.
“I’ve been crazy busy these days. I’ll leave NY next Monday.”
“Back to home?”
“Yes, Japan.”
“How do you like NYC?”
“I love it, I really enjoyed. I also like here.”
He never smiles as always, and pass me a cup of latte.

Yes, actually, I had been crazy busy during the last a few weeks of February and March before I went back to Japan. I had already finished my MPH course in December last year, but had stayed for 3 month more in NYC still. Working remotely for a research project on home care in Europe, I dedicated myself for the two events in early March to spread stories of my loving people in Tohoku. The first one was on 1st and 2nd March at J-LABO Brooklyn by J-COLLABO, “Kaleidoscoping Tohoku – 3 years after the disaster in 2011 –”. Second one was a symposium by Consortium for Japan Relief (CJR) “”

Cafe to cafe, meeting friend to friend, filled with love and caffein (and beer and wine at night).

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Before opening the CJR symposium. After 3 years since the Tohoku disaster, now I have more and more precious friends working together for Tohoku, across generation, language, nationality, ethnicity, place, and profession. I didn’t expect that when I came to NY in Fall 2012. I was empowered and raised up by NYC and you, friends here.

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The last jazz at subway station before my flight.

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My friends held a farewell party at my apartment for me. Much of love, food, drink and live painting. Thanks.

At Cafe Martin, on 10th March, in the morning.
“What time is your flight today?”
He asked me, without smile, as always.
“1 pm from JFK”
I answered, though I didn’t expect he remembered the exact day of my flight, and even asked me the time.
“Thank you so much.”
I received a cup of latte and said.
“See you next time.”
He replied.

「なんだぁ、帰っちゃうんだ。悠平くんそのままNYいるもんだと思ってた」
「いやぁ、次の仕事が日本であって」
「NY離れるの寂しいんじゃないの?」
「や、大丈夫っす、またすぐ帰ってくるんで!」
「お、言ったなー」

この街はいつでも誰でも受け入れてくれるから、だからいいんだ。

Ice vs. salt and shovel / 歴史へのまなざし

February 5th Wednesday, 2014

It got a little warmer, snow melted half, therefore streets are terribly tough to walk with dirty melted water at neighborhood. I enjoyed a cup of morning latter at Cafe Martin, read articles for a while, and then went back to home to do snow shoveling. This time’s harder than ever. Despite half melt snow, surface of the street was covered with hard ice. A snow plough I usually use never worked. So I bought bags of salt for melting.

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Sprinkled the road with the salt, and waited. But it rarely helped, the ice was so strong!

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A man working at a neighbor design studio helped me with stronger steel-made shovels. We used them and attacked the ice.

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Well, we’ve done well, now the road is safe. But… soon it began raining. I guessed it would be iced again during the night. Was my work in vain? Better than nothing, hopefully.

というわけで雪かき、というか削氷作業をしたのだけど、作業中に雨が降り出して、せっかく綺麗で安全になった路上にはまたポツポツ水が溜まり、今夜の気温如何によっては水は夜更け過ぎに氷へと変わることが予想だれ、全部とは言わないまでも路面の一部はツルツルに凍ってしまうのじゃないかという話で、まったくもって山下達郎どころじゃないよという心境であります。

誰だっけか、北海道に住む人がしていたツイートを思い出した。雪国に住むと、「やってもムダな抗いだけどやらないともっと酷くなること」の重要性を雪かきを通して学ぶことができるとかなんとか、そういうの。ここは雪国というほどではないけれど、まったく同感である。Better than nothing, hopefully. 世の中の仕事の多くはそういうものなんじゃないか、と思う。若いとイノベーションだのインパクトだの息巻くけど、雪かき的、あるいは沈みゆくボートから水をかき出す作業的なものってどうしても必要で、それが辛うじて社会を支えていたりもするのだろう。

帰国日は3/10に決めてチケットも取ったから、その日までの家賃をまとめて引き出したら、ドル口座の残金が200ドルぐらいになって、ちょっと笑えた。まぁ節制すればギリギリかなというのと、日本の円口座で入金される仕事をここ数ヶ月はいただいているから、そこでがんばれって日本のクレカ払いすれば大半問題ないのだけど、3月は3月で帰省やら引っ越しやらで出費がかさむし、4月が次の会社の入社月なので4月〜5月末までは3月までの仕事の収入でなんとか乗り切らなきゃいけないし、これはなかなか綱渡りでもあって、飛行機チケットや引っ越し荷物の発送など、大きな出費の引き落とし日を、クレカの決済タイミングによって微妙にずらすという芸当が求められる。ということで、大学院も終わって自由の身、NY満喫して帰る、というわけにもいかず、シコシコとデスクワークをしながら、合間にあまりカネのかからない遊び(学生証使って美術館行くとか、散歩とか)をして、3月には最後の仕上げとして東北関連のイベントをして、そんで帰国、ということになりそうです。デトロイトとか、ニューオリンズとか、サンフランシスコとか、願わくばショートトリップしたいなとか思っていたけどとてもとても。まぁ仕方ない。

夜は3月の打ち合わせも兼ねて食事をした。こちらでの暮らしが長い人は、やはり経験的に、色々なリスク想定が僕よりはるかに広く及んでいて、勉強になる。特に社会的イシューになると、色んな視点、価値観の人が、色々なことをおっしゃるから、全方位気を配って準備していかなければならない。がんばろう。うん。

打ち合わせをしながら、その人の生きてきた歴史に思いを馳せて、ちょっとひそかに感動したりもしていた。勝手に。今日みたいに、年長の方、自分より長く生きている方とお話するとよくある。いや、歳下や同年代でも勿論あるのだけど。こういう時にrespectという言葉がピッタリなのだと思う。

これまた雪かきのところでふれた話に戻るけど、若いとどうしても「今」に思考と目線が集中しがちで、そして若いということは確かに新しいものが見えているということもあるから、役割としてそれでも良いのだろうけど、やはり歴史へのまなざしが大切なのじゃなかろうかといつも思う。若い世代(僕もその中に入るのだろうけど)からしたら古臭く非効率でナンセンスに見えることは世の中に少なからずあるのだけれど、そうなった、そうある理由も必ずあって。その歴史を全体として見つめることができれば、少しは傲慢さが抑えられるのではないかなと思う。

歳が離れれば世代論、同世代間ではリア充・出世競争、所属が違えばエイリアン。とかく世間は騒がしい。世の中そうしたものさというペシミズムと、そんなものほんとはすり抜けられるはずなのにという諦めの悪さがある。現在だけを切り取れば価値観は否めない。惚れもすれば嫌悪もするだろう。だけど、その人や自分の中に刻まれ折り重なった、個人史・社会史・人類史への眼差しを持つことができれば、どうだろう。何かを悪く言うのは、とても難しいことではないだろうか。

「そう生きるしかなかった」結果の、たとえば木綿のハンカチーフを、どう掴むことができるかな。やさしくそっと受け取れるかな。

Meet with Chagall / 現在から見た未来と未来からみた現在

February 2nd Sunday, 2014

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After lining for almost one hour, I met with Chagall at the Jewish Museum on the last day of the Exhibition “Chagall Love, War and Exile.” The exhibition mainly focused on the era of WWII during which Chagall’s works highlighted his sorrow, anger and anxiety against the war and persecution on Jews (that also revoked his identity as Jewish). I really loved his early fantastic and beautiful works with silent night blue, but didn’t know well about the works of the era on the exhibition. These were, though still beautiful, astonishing and vivid expressions.I stopped and only kept standing by one of the works “Study for the Revolution.”

夜はブルックリンで友人と久しぶりに会って彼の彼女と、ちょうど来ていた日本の後輩と夕食を食べた。ピタが美味しい中東料理の店。今日はずいぶん暖かいけどまた明日は雪が降るらしい。参った。

その後輩は、大学4年生で内定者で最後の春休みで卒業旅行中である。ニューヨークで暮らしたり留学したいとのことで、仕事のことや暮らしのことを色々質問してくれた。正直な子で、それがとても良いことだと思うけど、26,7でまたヒヨッコの俺らが、ただNYにいるというだけのことでもって期待値を上げてもらっても、キラキラした将来を見ている22歳の彼女に何を言ったものかなというのは少し困った。困った、といってもキレイ事でごまかしたり遠慮する間柄でもないので、ただ思うこと、日々のことを話した。地味に。

帰ってFacebookを開いたら友人がハフポストの「仕事が残ってても休みます」経済大国ドイツの人の働きかた」を紹介していて、その際のコメントがバランスも取れていて自分の実感もこもっていて良いなぁと思い、少しチャットした。そのまま最近の「働き方論」の過剰さと、それぞれが感じていることをしゃべった。しゃべったというのはチャットね。FBの。当該記事自体は別にどっちでも良いのだけど、クオリティオブライフやらワークライフバランスやらの最適値が仮にあるとしても、働く本人のキャパや価値観って、自己認識も他者評価も変動的かつ不可知かつ個人差あるから、「働き方」「生き方」系の記事・コンテンツをいくら読んでも分かるもんでもないし、それゆえネタ配給は止むことがないなぁというのが思うところだ。

で、それで、夕食中に彼女にも言ったことなのだけど、キャリアと、それに付随する収入や社会的評価、できることって必ずしも単線的に伸びていくものではないから(たぶん)、芽が出ない時期もあるのだけど、ひとまずの仮説を元に、時には更新し時には捨て、日々を地道に重ね続けるしかないのだという話。現在から見た未来と未来からみた現在は違う景色だから。

Visit to Red Hook Initiative / 生活問題としての「書くこと」

January 20th-22nd, Mon-Wednesday, 2014

On Monday, I visited Red Hook Initiative, an organization to empower local community.

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Crossing by red brick buildings, went down to Red Hook area from my neighborhood Park Slope.

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Cross the river.

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Then I found their base, within 20 minutes from home.

Red Hook is one of the areas seriously damaged by Hurricane Sandy in 2012. I contacted them to know their efforts and actions after Sandy. They are providing several programs such as an educational support for children and youth in community, setting wifi networks around the neighborhood to close digital divide. These days, they’ve launched a campaign named 500 FUTURES to call for support for youth empowerment. I attended an information session to tell us what they do and will do, and to involve more allies into their actions. What impressed me was that high school students themselves are also dedicating themselves to RHI activities. AT the session, 3 youth members made a small speech and self-introduction. Though they looked a little bit shy, I felt they are surely proud of what they do and where they live. I made a small talk with staffs, and now think about if I can do something for or with them by sharing my experience at Tohoku, disaster area in Japan.

On Tuesday, a brutal winter storm come to our town. Soon the street become covered with snow. I just stayed at home, and did my research work, without imagining about going out into the cold night.
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On Wednesday, fortunately, storm ceased. I shoveled snow in front of the building again. I went to the cafe as usual, bought a cup of latte, and walked around streets in the quiet evening with a little breeze.
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先週末に書いた神戸の震災に関するエッセイに対して、地元の高校の先輩にFacebookでいただいたコメントにどう返したものかなと煩悶した週末だったけれどようやくそれを書いた。でも結局長々と書けば書くほど不可ない気がして、これはもうオンラインではどうにもならなず、3月に神戸に帰った時にお話できるかな、あるいは自分が各地を巡るなかで地元や神戸の震災や祈りについての思考や書き物を具体的に継続していくしかないかな、という感じである。どちらが正しいとか理解・誤解という問題ではない気がしている。文体やタイミングやメディアの問題でもあるかもしれない。いずれにせよ僕にはユーモアが足りない感じはする。だから落語をやりたいんだってば。

地元というのは、むつかしい。誰にとってもそうだろうけど、むつかしい。19年を過ごしてから東京に出て大学に進学し、卒業と震災が同じタイミングでやってきて石巻で過ごし、それから大学院でNYに行き、夏には東京に帰り、福島を訪ね、といったプロセスで、物理的にも心理的にも思考の面でも難しい距離が生まれたことはまぁ仕方がない。木綿のハンカチーフ現象というのは、誰の人生にもやってくる。

やれ文化資本だ学歴だ所得だ階層分化だとインテリぶって他人事の議論してるうちは気楽なもんだ。昔いたところを出る、自分も他人も変わりゆく、だけど捨て切れない、繋がっている。そんなのは誰にでも地べたの体験としてあり、自分の生としてそれにどう対応するかの方がよほどしんどい。また、しっかり考えなきゃいけない時期にきてる気がする。「」付きでない、のっぴきならない問題として。震災とか地元とか実家とか家庭とか恋愛とか介護とか健康とか障害とかお金とか会社とか学とか文化とか。3月半ばまで残りのNY生活、実家の神戸やじいちゃんばあちゃんの岡山に顔を出し、石巻へ帰り、ふくしま各地へ遊びに行き、再び東京へ帰って新生活の準備や手続きをし、4月から次のお仕事が始まり、そのぐるーっと回るプロセスで。

その手段として僕は結局書くことにしているのだけど、これもまた年を取るごとに難しくなってくるのだろう。リサーチの仕事を一緒にやっている会社の先輩と、打ち合わせのついでに、最近のこと、帰国後のこと、これからやっていきたいことなど話した。4月からの会社の人とも、よう話さなならんなと思う。務め人として事業的・組織的にやっていくことと、自分の日々の思索や書き物と、中心テーマが重なる場合はそう簡単ではない気がする。プロフィール欄によくある「発言は個人に属します」なんて防護壁、炎上事例を見るといざというとき何の役にも立たんだろう。

「個人の時代」とか「フラット化」とか「360度評価」って実際さほど牧歌的ユートピアでもなくて、場・相手Aに対応するペルソナAで思考・行動したつもりが、全然関係ないBやCの人から叩かれるということはいくらでもある。かといって、匿名でやれば良いという話でもなく、それでは絶対失われる文体がある。組織とか出自とか社会経済階層とか民族とか、そういう自分に付着するもろもろのラベル・絆(きずな/ほだし)・歴史を受け止めながら、間に橋を架ける文体を実現できればと思う。途中で破綻するかもしらんが。

書いたものを、どの範囲で、誰に向かってどの程度出すかというのは、日々自分と関わってくださる人たちと要所要所相談しなきゃなんない。社会の中に生きている限り、「表現は自由だ」なんてのはだいたいにおいて嘘くさい。
 
オンラインでin publicに書くのと、個人・コミュニティごとに話す・書くのと、二者択一でもなくって、うまくバランスとって社会で生きて、かつ表現してかにゃならん。

考えて、書いて、反応があって、また考えて、変化して、書いて…凝り固まらぬよう、その繰り返し。
 
教条主義に絡め取られないためには、言葉はだいたいいつでも消耗品だと思って生きるぐらいが良い。