Topic: Diary

Diary: 2017/01/16

あまりムカつかずに淡々と生きていたいと思うのだけど、最近憤りや怒り、伴って壁をまだ破れていない自分に対する焦りやいらだちといった感情が湧き出ていることを自覚する。

働く意思も能力もある、あるいは環境や支援次第で大きく変わる潜在能力がある人がいて(たくさんいる)、単に制度上の要件によって、働くことや能力開発の機会が阻まれるのであれば、それはやはり社会の側の障害に他ならない。

仕事柄色んな境遇の人たちと関わるけど、本当に、本当に、制度の側や、働く環境がほんのすこし柔軟になるだけで解消できる悩みや苦しみが冗談にならないぐらいあって、けっこう身近な人だったりもするからもどかしさも募る。

一方で、これはまた身近にいる方なのだけど、少しずつではあるが制度を動かしつつある様子、その戦い方を見させてもらって、ああこうやって動かすのか、と学ぶことも多い。それが出来ていない自分にまた焦りも感じる。

自分が出来るようになったことはもうどんどこ手放していかんとダメなんだと思う。時間や工数の最適化という意味でもそうだし、自分自身の能力開発という意味でもそうだし、関わる人や社会へのインパクトを最大化するという観点でもそうだ。たかだか30年弱の引き出しで、出来る範囲のことで褒められててどうするという話ですよ。少しでも多くのことを手放して自分自身を身軽にしていくこと、脳みそや身体を空けた先から新しいことや場所に飛び込んで吸収していくこと。今年の大きなテーマだと思う。

年末年始にかけて、管下編集部のライター編集者ともに、士気も実力も確実に高まってきていると思う。いいチームだ。いいチームなんだけども、もっといいチームにしたい。一人ひとりが自律的に動けるチームに。方向性や基準を明確にすること、それを伝え続けること、あとは1人でも、一回でも多く、打席に立てるように機会をつくること。

生きている色んな人の色んな人生に出会う。

仕事柄、距離が近くなったことも影響しているけれど、自分より年若い学生たち、色々な事情を抱えていま苦しんでいる彼・彼女らが、一歩でも前に進めるための機会をつくりたい。自分のできる限りにおいて。もちろん休んでもいいんだけど。

Diary: 2016/10/09 – 9月が終わりまして

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「結局、あなたは書き手になりたいの?編集者になりたいの?事業リーダーになりたいの?」
という割とクリティカルな問いをいただいたのが今年度上半期の終わり、9月でした。

何日かにいっぺん気まぐれにやってくる夏日と、直撃しそうでしない台風前後の雨風と、よくわからない気候のなかでも朝晩の冷え込みは確実に進捗し、そうこうしているうちに日中の気温もほどよく落ち着くようになり、お家では秋刀魚とひやおろしを美味しくいただたりなんかして、秋ですね。

月末月初は相も変わらずドタバタと過ぎ去っていったわけだが、それでも冒頭の問いは僕にとって大きな意味を持っており、それを常に頭の片隅に置くようになったことで、微細なところで考え方や言動、時間の使い方に変化は起きているように感じる。

もちろん、そもそも立ち上がって一年に満たない新規事業ではそんなに綺麗サッパリ専門分化するのは難しく、一人ひとりが日々自分の職能を広げ開発し成長してはじめて、チーム全体で大きな成果を出せるというフェーズなもんだから、上記の問いに対してもどれか1つ今すぐ選べるという状態でもない。

とはいえ、1月のサービス立ち上げから約9ヶ月が経ち、事業部内の体制も次第に整ってきており、この下期からはチームごとの役割やKPIが明確に分かれて動きやすくなってくると思う。ユーザーに長く使い続けてもらうための仕組みやサービスを設計し実装するチームもおり、それを適切にどう収益化していくかを検討するチームもいる一方、僕のチームは、引き続きメディアとして良いコンテンツを出してユーザーとの接点を最大化していく、というのがミッションになる。

という状況を踏まえて自分は冒頭3つのどれに力点を置いて働いているのか。

実際の自分の役回りとしても脳内シェアで行っても、今は「事業」をつくるというプロセスのなかで、どうコンテンツをつくっていくか、そのための組織を作っていくかという、3つ目の要素の方が強くなっているなと感じる。

今は所属部署の「編集長」という肩書きで、要は事業のなかのコンテンツ部分に責任を持つ役回りなのだけど、そこでは、どんな企画を打ってどうそれを世に届けていくかという編集者的な要素と、一緒に仕事をするライターや編集者が成長して活躍できる環境づくりや、収益化を見越したコンテンツの引き出しづくりといったマネージメント的な要素が両方求められる。

で、今の事業フェーズ的には後者、自分ひとりのプレーよりもチームをどう作って勝っていくかということの方が重要であり、今までピン芸人的にフラフラやってきた自分としても新たな挑戦であるし、やりがいも感じてはいる。

一方で、自分自身もプレーヤーとしてちゃんと育って立てているかというと、まだまだ足りないところが山ほどあるわけで。

編集者としてはどうか。実は、本格的に「編集」をメイン業務として働いた期間はここに来てからが初めてといってもよい。これまでは「ライター」として働いていたので、共通する要素はあれど、やはり違う職能である。特に自分はコピーライティングやエディトリアルデザインに関しては相当弱いというか、からっきしである。

小さいチームなので、自分でもいくつか記事の編集は担当しており、最近だとこれはけっこうヒットした。

「障害者の感動ポルノ」を巡る議論で、私たちが見落としていること

時制に合わせて企画を打つ、みたいなところはそこそこ向いているとは思うが、それでもまだこのメディアで本格的に攻められているかというとそうではないし、自分としてもまだ走りきれていない感はある。

書き手としてはどうか。先週久しぶりに、自分で企画からインタビューからライティングまでやった記事を出して、これもまぁヒットはしたのだけれど、予想の範囲内としては範囲内で、むしろこれでヒットしなければ書き手として情けないレベルである。

モデル・栗原類、「発達障害(ADD)って、隠してたつもりはなかったんですけど笑

慌ただしくはあったが、久しぶりに、自分で聴いて、書いてというのはやはり楽しかったし、もうちょっとこういうのをやっていきたいな。

あと、インタビューはさておき、ブログやらエッセイやら、久しく主語自分で書く、ということを出来ていないので、そこら辺の感受性といういか、内面を掘り下げる力は鈍っているように思う。

…そんなわけで、チームや事業は着実に立ち上がってきているし、自分もそこに一定の寄与はしていると思うのだけど、編集者としても書き手としても、もっともっと走りたいな、攻めなきゃいかんよな、という危機感もあり。もにょもにょ。

結局、仕事というのは一人で出来るものではないので、全くの自由などというものはあり得ない。択一というものでもないし、どのバケツにもまだまだ全然水が入っていないので、ある程度の期間は同時並行で成長する余地があるとは思う。しかし、同時並行だったり、時間や資源に制約があるなかでも、自分にとって一番にょきにょきと食指が伸びる方向はどちらなのか、ということには意識的であるべきだよな。

いずれにしたって社会の小さな歯車の一つとして我が身をどう使うかってことでさぁね。

Diary: 2016/09/17

マメヒコの平和さ

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ボサボサで野暮ったくなった髪を切りに行った。スタイリストさんに「最近楽しいことありました?」と聞かれ「えー、なんだろう…」と答えあぐね、「それまずいっすよー遊びに行った方が良いですよー」と言われたわけだが。

別に楽しくないわけではないのだがな、日々の仕事やその他もろもろの社交活動課外活動を含め、概ね好き勝手やらせてもらっているとは思う。ただまぁちょっと、最近はディフェンシブな仕事というか、自分にとって未知の世界や仕事に挑むというより、理想形はある程度見えた上で、そこに向かってじわじわと環境を整えるみたいなところが多く、ワクワクが足りていないのは正直なところかもしれない。

最近の脳内の重要トピック3つ

1. 編集者の社会的責任

一時期「キュレーションメディア」の跋扈とともに、画像や文章の無断転載・改変が問題になったが、その後、引用出典の明記など、業界的には最低限の著作権保護のお作法は一時期よりは整ってきたように思う。

ただ、参照元がゴミ情報だったりトンデモ情報だったりすることは往々にしてあるわけで、裏取りの正確さというか、情報の質に対する責任も、各ウェブメディアは真剣に考えるべきじゃないか。

特に、保健・医療・教育・福祉etc.人の健康や命に関わるヒューマンサービス領域は、色んな人の思いが渦巻くエリアであり、世間の関心も高いゆえに数字を取りやすい。不安を煽るタイプの商法が氾濫するリスクが高いわけだ。

同領域は、「正しさ」についても様々な流派や意見に割れやすく、公正中立というのはほとんど幻想だとも言える。各メディアやその編集部は、自分たちの拠って立つ位置を定め、自らの編集・発信内容に対してどう責任を負うかを考えていく必要がある。

近々論点をまとめた記事を書く予定。

2. ユーザー投稿型サイトにおける安全の確保

こちらも広義の編集といえばそうなのだが、ユーザー投稿型コンテンツのプラットフォームでは、投稿者が不安定な状態にあったり、自傷他害リスクがあると取れるような投稿を発見したときに、どうそのユーザー本人やその近隣者、影響を受ける周囲のユーザーの安全をどう確保するかという問題。

ウェブ上のゲートキーパー活動とも言えるのだが、病院や福祉施設などの事業現場と違うことは、リスクの高い投稿をしているユーザーへのアクセス手段や背景情報の取得にそもそも限界があること、またプラットフォームの性質上直接支援をすることがそもそもかなわないということも多い。

基本的にはリスク判定をした上で、出来る限りの情報提供をし、危険な場合は警察当局等にリファーする、ぐらいしか対策はなさそうなのだが、それを可能にする体制やスタッフ育成など、各種メディアの中で整えるべきだとは思う。

3. 発達障害とその周辺の事象、ステークホルダーの絡み合い

可能な限り早期に疾患を予防・治療する「医療」と、現在・未来の子どもたちの潜在能力を最大化する「教育」と、最低限の生命・生活を公的に保障する「福祉」と、それらの緊張関係の中で、どうあれ一回性の人生を生きる私たち個人の「物語」とに、メディアがいかに向き合うべきか問題。難問。

ここ数日で読んでいる本。

どうあれ「発達障害」というものに対する認知や関心が高まった近年。往々にして診断名やステレオタイプのイメージが先行して普及するが、実態としての発達障害のある人の個々人の症状・特性の多様さ、医師の「診断」が原理的に抱える恣意性やブレをハンドリングしつつ、診断あるなしに関わらず適切な支援にどうつなげるかを考えていく必要がある。

人は言葉なしには世界を理解することは出来ない。しかし、言葉、とりわけ分かりやすい名前を与えることによって見えなくなることもある。

Diary: 2016/08/26

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The smallest Japanese pub with the longest history in Shibuya.


新しい組織が出来上がるとき、しかも内外から様々なバックグラウンドの人間が集まる以上は、そうそう簡単に共通認識が取れるはずもない。仕事を進める上での考え方や価値観、人への評価の物差しや関わり方も違って当然で、どちらが偉いとか正しいというものでもない。

だからこそ、一見非効率に見えるが、しつこいぐらいにコミュニケーションを取り続けて、数字や言語に現れない、お互いが言外に発しているメッセージをたくさん浴びせあって、じわじわと身体に染み込ませていくことが必要なのだろう。会議体とか権限とか議事録やメール共有といったもろもろの情報流通経路も、文化と信頼感情勢の補助ツールに過ぎず、そういうものをルールとして整備しているからといって、「もう十分でしょ、分かるでしょ」というわけにはいかない。

「発言してくれないないと分からないよ」とか「オーナーシップを持って自ら行動せよ」とは言うが、適切なタイミングや方法で問いを投げかけて初めてその人らしさや、その人が腹に抱えていた言葉が発露することがある。

出来る限り関係性はフラットでオープンに、という近年の潮流には基本的に賛同するところであるが、それが自然とできるようになるまでの道筋は、人や組織によって様々な傾斜やうねりがあること、ある程度の時間がかかることを忘れてはならない。

メディアをやる以上、多かれ少なかれ私にも野次馬根性とにぎやかしの魂胆が備わっていていることは間違いない。

ダサいものは作りたくないし、多くの人に届かなければ意味がない。同じ分野で、いいコンテンツを別媒体に先に出されると悔しいのは当然である。

とはいえ美学がなければお終いである。

判断のモノサシをどこで持つか、いざというときにすぐブレーキを踏めるかどうか。チームやメディアが育ってきているときこそ、そういうことを自分は考えねばならない。

Diary: 2016/08/20

August 20th 2016, Saturday

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A man in the rain, waiting for fireworks display.

4月から、会社の新規ウェブサービスの担当になってしばらく経った。楽しさ半分、焦り半分といったところかな。

コンテンツの制作と、それに紐づく事業上のKPIは今のところ堅調に積み上がっており、チームの士気も高いのだが、まだやりたいことはほとんど実現できていない。

自分自身も1プレイヤーとしてまだまだ研鑽を積まねばならないところだが、今の役割としては、個人で何を表現できるか以上に、チームで勝っていくためにどんな成長環境をつくっていけるかが問われている。

特に期間中言及しなかったが、思想も戦略もなく反体制根性(つまり結局は体制に依存している)で声を上げたかつてのタレント文化人が内部からも市井からも信任を失っていく様子を横目に見ながら、「ペンの力」で本当に世の中を動かそうと思ったなら、お金や人や流通経路を含めて、ペンの力を届けるための組織をちゃんと作っていかないと、それは表現者のエゴでしかないよなと改めて思う。

コンテンツ作って世に出していくということは、それをわざわざ私たちがやることの理由―思想がまず必要なのは言わずもがなだが、それを裏打ちするビジネスモデルや届けるための道筋づくり(UI/UXデザインもマーケティングも)、絵に描いた餅を実現するための人の意識と技術がそろって初めて影響力を持つ。

チームの中もそうだけれど、部内のビジネスサイドやエンジニアサイド含めて、同じ方向を向いて進めるよう、私は私の立場から、方向性を言語化・見える化して共有するための努力をもっともっと取るべきなのだよな。

最近は、仕事の隙間にドタバタと結婚式やらなんやらの準備。それから、少し前にウェディングパーティーをやった友人夫婦と仲間たちの足跡を記事にしようという話があって、そのインタビューやらなんやらも進めており、どうあったって、結婚だの家族だの暮らしだのといった事柄が脳みその一部を占めるわけで。そういう時に上記の岡田育さんのツイート。

父母姉祖父母含め、私は実家家族、ないしは地元というものに対して微妙な距離をおきながらお付き合いをしているわけだが、たぶんそれは上で育さんが書いている感覚に近い。

それは結局私の思いに過ぎないわけで、親は親で、親心というもので私に対してあれやこれやの関わりをする。特に母は心配性で、式や披露宴に援助は必要ないか、向こうのご家庭はどんな感じだetc.心配してくれている

私の場合は、(決して裕福でない)父母祖父母に、経済上の大きな援助―負い目を持ちながら、結局はそのおかげで地元を出て、さまざまな地域や国の人と出会い、今の仕事へとつながっているわけだから、そのことに対して返さねばならぬという義理や責任がある。ただ、産み産まれた血縁関係だからといって、あまりに近い距離感だとしんどいものがある。

「二人で予算も話し合って進めているので、援助は要らないです。前日のお宿や新幹線含めて僕からプレゼントさせてください」と、少し背伸びをして連絡を取る。これも親孝行かな、とか思いつつ。ポジティブでもネガティブでもなく、淡々と、しかしやはりこういう私の世代観家族観なりに、感謝を込めて。

Not yet in full bloom / 地球のみんながしくじり先生

March 21st 2016, Monday

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I went to a branch house of the local government, and passed a marriage notification to an officer, with my partner. Then she, my wife now and I walked around a small valley near the office. A little colder than yesterday. Cherry blossoms are not yet in full bloom. But I knew spring is coming to Tokyo.

3,2,1ドンの日に入籍をした。気づけばもう3月も終わりに近づいている。桜もぼちぼちと色づいているが満開にはまだ至らず、花粉症に苦しむ周囲の人々を横目に春がそろそろ来るんだなぁなんて思う。職場近くの目黒川は、この時期花見で人通りが多くなるのだが、そういえば一昨年も去年も、自分はゆっくり花見をすることもなく通り過ぎていたなと思う。今年ぐらいはどこかでのんびり見ようか。

「実感」なんてものはどこかを境目に突然生まれるものでもなく、いつだって自覚より先に現実が動いていくのである。婚姻関係や家族関係などといったものにいまだしっかりとした立ち位置を見つけられていないが、私がどう足掻いたって時間は過ぎていくもので、家や仕事やあれやこれやと乗り越えているうちに、いつの間にか「夫」になっていたり「父」になっていたり、するんだろうな、たぶん。

それはさておき「しくじり先生」の深夜放送最終回、オリラジあっちゃんの講義は神回すぎる。あと杉村太蔵回。入籍前日深夜になに観てんだという話だが、私は人生だいたいしくじりこじらせ続きで、もっと言えば彼ら講師陣のように別に大きく成功した時期があったでもなく、しくじりどころかくすぶりという形容詞の方が合っているぐらいであるから、しくじりをビビったり後悔している場合じゃないのだ。4月からまた新しい仕事が始まる。中田先生の名言「地球のみんながしくじり先生なんだよっ!!」を胸に刻みつつ、どんな時でも「お任せください!」の精神でいくSHOZON

Extend our hands / 「握手はどっちの手?」

February 7th 2016, Sunday

“Someday, let’s shake hands again, with my new hand.”
He smiled me, shaking my hand with his right arm. The meeting with my new friend, Kunihiro Yamamoto made my day today.


This is “HACKberry,” the newest myoelectric prosthesis developed by “exiii,” Japanese robotics startup.

Kunihiro doesn’t have his right front arm (it’s congenitally physical disability). So he supports “exiii” for development and promotion of HACKberry.

Though HACKberry is still a prototype, I felt its potential to create new future for people without arms. HACKberry is called as an “open source” product. When the “HACKberry” is put to practical use. All the people without hands can design and order his/her own hand. Each hand will be unique and optimized for each person’s physical function.

As you choose your clothes, they can choose their hands. That must change the world positively.

滋賀のアメニティフォーラムへの出張を終えて東京へ帰る。
友人夫婦宅にお邪魔をして、以前から「紹介するよ」と言ってくれていた人と会った。

彼の名は山本邦光くんと言う。
高校卒業後に働き出してまだ1年目なのだが、ずいぶんしっかりしていて、爽やかな人当たりの好青年だった。

彼は、友人、工藤瑞穂さんが運営するメディア「soar」の以下の記事に登場している。

「握手をした瞬間に、相手が笑顔になるんです」ーー筋電義手「handiii」開発者の近藤玄大さんと義手ユーザーの森川章さん

筋電義手を開発するものづくりユニット「exiii(イクシー)」の紹介記事である。

この動画はGOOD DESIGN AWARD 2015で金賞を受賞した最新モデル「HACKberry」

山本くんは先天性で右腕前腕を欠損しており、当事者としてこの「HACKberry」のモニターやプロモーションに参加している。また、上肢障害のある方同士を繋ぐNPO法人「mission arm Japan」という団体の運営にも携わっており、実にアクティブ。

勤め先のLITALICOのことも前から知ってくれていて、とても興味を持ってくれたようで、工藤さんがつないでくれたのだ。取り組みや考え方などに相通じるものが多く、ぜひ何か一緒にやろうよとひとしきり盛り上がった。

義手と一口に言っても色々あり、実際の腕の肌色や質感に近づけることを目指してデザインされた義手もあれば、フック船長とかライダーマンみたいな原始的で無骨なやつもある。一方、「exiii」が開発する筋電義手は、近未来を感じさせるサイバーなデザインで、彼はそれが好きなのだという。

義手や義足をはじめ、身体機能を補う装身具は、その機能の進化ももちろんだが、デザインももっと多様化していくと面白いと思う。男性も女性も老いも病めるもおーんなじ義手しか選べない、じゃあつまらない。僕たちが好みに合わせて服を選ぶように、サイバーな義手、無骨な義手、ナチュラル系の義手、ゆるふわガーリィな義手?などと、自由な選択肢が広がれば良い。

そのためにはもっともっと、障がいのある人もない人も混ざりあう繋がりやコミュニティが必要だ。彼が携わっている。「mission arm Japan」にも、交流会やスポーツイベント、寄付による支援などで関わることができるので、興味がある人はぜひサイトを覗いてみて欲しい。

友人宅を出て、坂道を下ったところで別れの挨拶。

「じゃあ、また今度。握手はどっちの手が好き?」
「どっちでも良いんですけど、僕は右の方が好きですね」
そう言って、右を差し出してくれたので右手で握手をした。

「今度はHACKberryを付けて握手したいですね!」
なんとも爽やかな笑顔でそんな台詞を残して彼は立ち去った。

「うん、楽しみにしてる」

その日はきっとすぐにやってくる。

What makes his/her behavior “problem”? / 「困った人」は「困っている人」

February 5th 2016, Friday

I and my company colleagues are attending “Amenity Forum,” the largest forum of human services in Japan for two days. Lots of professionals dedicated to welfare services gathered to the forum, and made presentations about their services, newest research outcomes, and so on.

Our company named LITALICO runs more than 100 centers to provide people with disabilities with job support and education services so that they can find the way to learn and work that suit for them, and choose their own way to live.

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I attended a symposium about severe behavioral disorder. in general, it is said that people with severe behavioral disorder makes “problems” such as screaming, self-injury, attacking others etc. But the speakers at the symposium said that, a behavior itself is not a “problem,” but a problem is caused by an interaction between people and surroundings. I agree with that. For example, if a man scream in his own room, that isn’t annoying for others. So it’s not a problem. But if he screams in a classroom, office etc. and that disturbs other people’s life. And, there must be a reason why he screams in the classroom. Something must have made him scream as an antecedent stimulus. So our mission is to replace such stimulus to other stimulus that doesn’t make him scream, or provide other options for him. To achieve the mission, we make detailed assessment on him and his surroundings. It is not easy, but if we never give up, gradually his behavior will change.

Now I’m not working as a field staff. My current job is research and management at office. But today’s session encouraged me so much. Whether field staffs or managers,all of us are working as professionals to improve qualities of lives of people with disabilities and disorders. They themselves of their behaviors are not “problems.” There must be signs they send to us, and we should catch them.

ここ最近はろくすっぽ日記も書けていなかったが、熱気に当てられたのでホテルで久しぶりに。「アメニティフォーラム」という福祉関係の事業者・実践者・研究者が集まるフォーラムに参加している。今年は第20回ということでかなり気合が入っている。会場は滋賀県の大津、琵琶湖の目の前にあるプリンスホテル。全国から1000人ぐらい集まる3日間の大型イベントだ。途中懇親会も入るが、基本的にはシンポジウムやゼミがぶっ通してで、ついさっき、深夜の24時まで続いていた。

プログラムは多岐に渡るが、興味があって多く参加したのは強度行動障害支援のセッション。ハッシュタグ#アメニティフォーラムでツイートしたが、いくつか抜粋してここにもメモしておく。

強度行動障害については、以下のように定義されている。

“強度行動障害児(者)とは、直接的他害(噛みつき、頭突き、など)や、間接的他害(睡眠の乱れ、同一性の保持例えば場所・プログラム・人へのこだわり、多動、うなり、飛び出し、器物損壊など)や自傷行為などが、通常考えられない頻度と形式で出現し、その養育環境では著しく処遇の困難なものをいい、行動的に定義される群” (1988年『強度行動障害児(者)の行動改善および処遇のあり方に関する研究』(財団法人キリン記念財団助成研究)より)

ポイントとしては、強度行動障害は、上記に記されたような「状態」が続くこと、であり、個人だけに帰責されるものではないということだ。そうした行動を起こすには必ず理由があり、奇声や噛み付きは表層に見えている「氷山」の一角に過ぎないと我々支援者は考える。「困ったひと」ではなく「困っているひと」であり、いわゆる「問題行動」の下には、その人がそうしてしまう、本人と環境の相互作用がある。我々は「アセスメント」という技法を使ってその人の日々の生活を記録し、その行動の原因や本人が抱えるニーズを丹念に分析する。その上で、そうした問題行動が起きないための環境構築や、本人への働きかけを行う。つまり、「行動障害」は「二次障害」であり、本人が行動障害を起こさないための予防環境づくりが肝だということだ。

そもそも何をもってその人の行動を「問題行動」とするのかという問いもある。「奇声を上げること」は、それ自体常に「問題」なのか。たとえばある人が、自分の部屋の中で奇声を上げることは、他人に迷惑をかけないかぎりとくに「問題」ではないと言える。それが、学校や職場や公共空間など、集団生活の中で奇声を上げるということになると、周りが迷惑を被るから「問題行動」とみなされるわけだ。その行動が問題とされるには、当人の行動を周りが問題だと受け止めるから、あるいは問題を感じる環境・文化があるから「問題行動」なわけである。

つまり、行動には意味や役割があり、それは固定的ではないということだ。その行動が「問題」だとされるなら、その理由=行動を起こす本人の意図や困り事や願いを見極めること。その困りごとが起こらない環境を整えたり、願いが叶えられる代替行動を習得できるようにすること。たとえば、子どもにとって、「頭をたたく」という自傷行動が「母親を呼ぶ」という役割になってしまっている場合、「ブザーを押す」「声をあげる」など、同じ役割を持つ別の行動に置き換える学習が必要になる。

……と、いうのが支援における基本的な考え方やスタンスなわけだが、言うは易しで、実際の支援現場は毎日が試行錯誤の連続である。テレビが宙を舞う、窓ガラスが割れる、噛みつかれる。それが成人男性の行動だったら、スタッフも当然、怖い。あるいは、家族支援。障害のある子どもの親への支援研究はまだまだ少ない。周りの不理解、子どもの行動に対する悩みで孤立する家族。夫のDVや子どもの暴力で追い詰められた母親が、自分も子を虐待しそうになる、あるいはしてしまう。自分を責める。ひとつひとつの事例報告を聞いていると、本当に壮絶なケースが多々あった。(だからこそ支援を属人化せず、地道に居住環境を整えたり、テキストや研修による支援者養成をしたり、地域や職場でチームを作って対応したり、という組織プレーが重要になるのだが…)

私自身は、今は現場で直接対人支援をやっているわけではなく、企画・編集やマネジメントの仕事がほとんどになった。また、現場支援をやっている時も、今回のような重度の行動障害のある人を担当した経験はない。それでも、今回のお話は自分の心を強く打つものがあった。

支援の現場は野球で言えば「1割バッター」のようなものである。残りの9割、ほとんどは失敗の連続である。だけど支援のプロフェッショナルは、その9割の失敗を決してムダにしない、試行錯誤の積み重ねで1割の成功を生み出す。そんな話をされた方がいた。

失敗して、失敗して、試行錯誤して、ようやくその人の行動が少し変化する。魔法のステッキはない。でも、だからこそ、続けるんだよな。現場だろうとなかろうと関係ない。それぞれの持ち場で、ヒットを打つための試行錯誤を重ねるのだ。

Train music / 帰省

January 3rd, 2016 Sunday

When I’m back from Paris to my family’s home, Kobe, a friend called me to Kyoto. She invited me to an wonderful concert. It was a small music live in the train!

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Eizan Dentetsu, a small local train leaving from Demachi-yanagi to Hieizan, a famous Buddhism mountain. Today, on train was chartered for the concert. We, all the participants, organizing staffs and 4 groups of musicians rode on the train, and the first group began playing. All the songs were so matched with the tiny stage, and soon all of us excited together. Two bottles of Heineken, and joggling train and music made me drank enough!

パリから帰ってきて、ほんの1日ばかし実家に顔を出した。
父母姉祖父母叔母ともろもろの話をする。
大いに反省と感謝をしつつ、こういう人生線の我が身のやる方なさを思う。
祖父母はますます老いて、特に祖母のヒステリーは進む。
私もいつか老いる。
と達観理解をしながらその時を恐れている。
借りた金は存命中に返せそうもない。
その前に親も老いる。
その時に私は子としてするべきことをする。
ための蓄えが今から大事だ。

放蕩。