Posts By: yuhei

レーモン・クノーの『文体練習』より その1 メモ

山手線の車内、月曜の夜。中程度の混雑度合い。「つかまってなさい」という声。男女が一組。「バルタン星人だ」と女は言う。「宇宙忍者なんだって。知ってた?」男は言う。男はやせ型でやや背が高い。ピーコートにマフラー。女は茶髪のボブヘアー。手にマクドナルドのコーヒーカップ。女が目をつぶる。目を開ける。男が頭を三度当てる。代々木駅で一度外にでる。すぐまた乗り込む。左斜め前方に男。中肉中背の角刈り。グレーのフリースにリュック。口元をモゴモゴさせ、立ったまままどろむ。

新宿駅に着く。向かいのホームで中央線各駅停車を待つ。中年の女がスマートフォンを一生懸命覗きこんでいる。戦闘中。中野止まりの列車に乗ってしまい、途中で降ろされる。

文体練習
文体練習 レーモン クノー Raymond Queneau

朝日出版社 1996-11
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Laugh it out / へらへらとはたらきたい

October 7th 2014, Tuesday

If you divide the whole system into tiny, tiny pieces, limit the target, it may be easy to run the race. But sometimes what you took away from your scope returns to you from an unexpected side. To see the forest, and make it sustainable as a whole, sometimes “working hard” may be a bad tactic. How difficult to be sincere to your mission and laugh it out at the same time.

現状維持は後退だ、とも言いまして、やはりある程度の張りを持った前進運動というのは必要なわけですが、結果の大小によらずがんばることそれ自体が美徳となったり、それが他者への静かな圧力に転化したり、果ては機能不全を個人に帰責したりようになればそれは本末転倒なわけです。

ため息飲み込む人が一人でも減るように働くのだ。仕事は楽するためにやるもんだ。自分がいなくなっても良いところまで持ってくのが仕事だ。

課題を限定して単線レールを敷けば、走って結果が出るゲームになるのだけど、視界から切り捨てたものの思わぬ逆襲を後から受けることになるのだよ。走りながらやわらかくあるということはいかに難しいか。

そういうわけでなるべくいつでもヘラヘラとはたらきたいとおもっている。

Take a breath under typhoon/ 一週間のあれこれ

October 6th 2014, Monday

Typhoon directly hits Tokyo today, and I stay in safe at home, cos Monday is off for my shift roster. Meetings for individual jobs has been switched to Skype. For me, this summer was rather like a typhoon, especially from August to September. And now, take one breath at last. Working as a teacher/researcher/writer, I realize again, what is important is to design a new context while understanding a complex network within which I and others interact. So I need to keep moderate tempo, not too fast, not too slow.

9/29(月)
日中は会社の全体研修であった。上期の取り組みと実績を発表して他拠点と優勝を競う的な。

結果はというと、優勝はできなかった。4位。悔しい。

演出含め、場は完全に持って行ったんだけど、勝てる評価に結びつく伝え方で落ち度。ぐう。

地域へのアプローチやご家庭とのコミュニケーションなど、他拠点から学ぶことが大いにあった。下期で。

夜、渋谷ヒカリエでmy Japan “Creative Summer Camp”の結果発表会見学へ。取材兼ねて。CMってな難しいね。良いものを良いと思ってそのまま伝えても他人にはほとんど刺さらない。

小布施に移住した友達とばったり会場で再会。今回の長野市のアテンドもしていたと、主催の人から聞いていたけど、当日来ているとは思わなんだ。嬉しかったなぁ。

9/30(火)

論文ひと通り書けた。ペン大ダックワース教授が提唱したGrit(https://sites.sas.upenn.edu/duckworth 日本語では「やりぬく力」とか訳される)とパーソナリティや仕事のパフォーマンスの関係を日本人対象に分析した研究。まだ粗いので細かいところ色々整えねば…

向こうの請求額ミス支払額が足りなかった大学院の学費、例のごとくまったく詳細説明なく支払いスケジュールを知らせてきた。散々送った質問や確認メールの返信も遅いし答えないし。もう慣れたが。

留学資金含め各種支払はスケジュールと額を工夫してるし、兼業分のお仕事増やしてどうにか月々のキャッシュフローは回るようになった。が、フリーの請負業だとそろそろ使える時間に限界あるし、自分がうまくチームとお金作ればもっと色々出来るのになというもどかしさもある。

別に贅沢もせんでええし幸せという何やらにも興味はないので、誰かとor誰かのために何かをしたいって時にすぐ動かせるだけの資源が欲しい。つくる。

半年以内には個人の仕事やお金の取ってき方はギアチェンジしてかなならんし、1〜2年以内には、何かしらの業態で自分の看板は立てんとなと思っている。今一緒に仕事している人たちとても好きなので、雇用・労働形態が変わっても、いやむしろより気持ちよくコラボできるように、立ち位置変えていきたい。

はたらけどはたらけどなんとやら

と、思ったら来月再来月追加のお仕事をもらった。助かる。

現代の家内制手工業。

10/1(水)
全体研修明けてのスタッフ全員集合。

気持ち、折れてない。むしろ、うにゅー、発奮。
次は勝つ。

おいしいものを食べたい。
カツオを食べに、ほんの少しだけ北上したい。
いや、そんなことよりはやくお祝いに行きたい。とどのつまり小名浜に行きたい。

10/2(木)
朝、論文の続き

統計処理からテーブルづくり、出来なくはないんだが明らかにムダな作業してるだろー自分って感覚あるときにガチ統計クラスタに聞くとパパっと鮮やかな手順を教えてくれるもんだから頼りになる。時たま「こっち側においで」と言われる。行かない。

とはいえだいぶRとは仲良くなった。

ほんとは夏目漱石とかよしもとばななを愛する文系青年のはずなんだけど、最近なぜだか数字ぶん回して味気ないセンテンス書いてる。

出社、退社、からの、出社

上司と面談。自分の性格や考えをよく理解して色々挑戦させてくれるからありがたい。やりたいことや感じた違和感はひとつひとつ仕事で形に変えていくのだ。

授業。褒めたり、一緒に遊んだり、ちょっと叱ったり。

10/3(金)
よう働いた。

「どもりはあともどりではない、前進だ」(武満徹)って、子どもたちに教えてあげたい。
言葉と伝え方を変えて、伝えたい。

楽しそうにしゃべって帰ってくれたな、今日。

10/4(土)
朝と昼休みに論文の手直しをした。あとちょっと。

出社。

色んな事情、色んな人生、ある。

やれることやるしかないが、やるせない。

阿佐ヶ谷で夜。美味しいと評判の餃子屋「豚八戒」は今日も満席だった。
入ったお店に日高見があったんで呑んだ。

何やってるのか一言では説明しづらいし、そろそろ、「お仕事リスト」をまとめてウェブに上げたほうが良さげ。

10/5(日)
雨の日は、街のテンポが遅くなるから、ちょっとだけさみしい、ちょっとだけやさしい。
ここのところ論文読んでばかりだったので、通勤電車で久しぶりによしもとばななを開いた。
仕事前にテンション下がる。これあかんやつや。

色々ある。
色々あるが、子どもたちの笑顔と優しさに癒やされた。
授業について。迷ったなら基本に立ち返る。目標と手立てを具体的に絞る。仮説を持って色々様子を見てみる。と、端緒が見えてくる。

いつの間にかすっかり、「先生」、やってるなぁ。笑える。

台風近づいてるのでササッと定時退社。明日は休校。

家に帰って論文の直しを上げた。あとは校正にかけて本提出。

iPadのにゃんこ大戦争とFF Record Keeperをだらだらとやった。

Summer is closing / おそろしいこと

While the rest of cicadas crying and buring their life, bell crickets already began singing at night. Gusty rain on Monday cooled down the temperature, saying “Here’s September.” And I got a little (just a little) cold. Without noticing, I had passed by August, and now take a breath, worrying about other things to do. It was a good summer. With my colleagues and kids coming to our class, I ran through the days. That indeed developed my competency, and hopefully, those kids may have made progresses.

Sometimes I feel awful, finding that I’m trapped by too linear, busy, and rosy ways of thinking.

口が上手くなっていくことにだけは本当に本当に本当に気をつけなきゃならないよ。

Tired off / こまったこまった

August 13th 2014, Wednesday

I had three days off during the “Bon” period, when the spirits of those who died come back to our society, and we living people come back to their home to cherish and appreciate their old families spirits. This year I haven’t been back to my home Kobe, without any specific reason (maybe I was just tired to do so), and have stayed in Tokyo. Other than meeting a few friends over lunch, coffee or drink, I’ve spent most of these three days by sleeping. Knowing that I have lots to study and write, I open books or my laptop but my tired brain and hands never work well. So at least I just write down my current sate like this diary.

盆休みの3日間はあっという間に過ぎた。特段何もせず、概ね寝て過ごした。まとまった文章を書く体力、書きながら考える体力が、激しく減衰していて困っている。私的な事柄を書き連ねることに関しては、別段止まっても世間様に迷惑がかからないのだが、記事だの書類だのの頼まれ仕事―「わたし」をほとんど介在させなくて良いタイプの書き物すら、書けなくなってしまった。困った。盛り込むべきトピックメモ書きする程度ならすぐ終わるのだが、そこからまとまった文章を編んでいくだけの力がどうにも湧いてこなくて、困った。カレンダーを見ながら、書くための時間を1週間のうちにそれなりに確保はする、そして机に向かう、のだが、筆が進まないまま無為に貴重な数時間が過ぎる。休みの間に済ませようと思っていたことはほとんど全くといって良いほど進まなかった。うーん。さすがに今週まとめないと、スケジュール的にまずいな、というのが。

どうにもこうにも力が出てこないので、こんな内容でもつらつらと書き記せば、他のことを書く滑り出しにでもなるだろうか、と期待して、ブログを開いた。

晩飯は、家の近くのてんやで天丼をかきこんだ。

Summer as usual, as the first / 苦虫と

July 28th 2014, Thursday

After a humid rainy season, summer has come to Japan with buzzing cicadas. Though a little bit longer than their average life-length, still summer is short. Between bumps of beer mugs on the ground and bursts of fireworks across our metropolitan sky, thousands of kisses of lovers embrace ephemeral infinitude. Soon after that, arousal from the midsummer night’s dream comes to us. The peak and the end of summer sit next door to each other.

This year, my summer in Tokyo may be a little different one. Now I’m working for a private school which provide tailored curriculum for children with various educational and developmental needs. The beginning of summer vacation of school kids means the beginning of our busiest season, summer sessions with more classes than usual, from the morning to the night. At every one class, they surprise us teachers with unexpected changes and expressions. It’s just started. I’m in a rush time and rarely have time for inner reflection, but anyway I’m enjoying this new summer experience with children.

気がつけば7月が終わろうとしている。知らぬ間に梅雨も明けたらしい。先週の月曜日、もうすぐ海外へ発つ友人と麻布を歩いていて、その日今年初めてのセミのこえを聞いて夏の到来を知ったのだった。その後ほどなくして夏期講習が始まった。僕のような七面倒な人間がお子さんに勉強やらソーシャルスキルやらを教える「先生」をやっているだなどと想像もしながったが、ぐずぐずと内省をするヒマもなく現実は走りだし、気づかぬうちに我が身と心も順応し、なかなかな楽しさと緊張感を持って子どもたちと日々向き合っている。

授業って、ライブだから、難しい。やり直しも効かないし準備と予想が裏切られることもしばしばある。なに、そんなものおおよそ世の中全てのことがそうだろう、と言われそうだが、しかし変化の速さ、激しさという意味ではやはり大人よりも子どもの方が大きい。表面上うまくいっていたりその場その場の目標が達成できていたとしても、わからないことや反省することばかりである。

一週間のうち、残り2日の時間と身体と心の使い方も難しい。色々な機会と繋がりをもらって、挑戦させてもらっているものの、メリハリをつけきれないまま納期に追い回されている感覚もある。借金もあるし、まだ若いし、なんでも選り好みせずに受け取って打ち返していくつもりではいるが、どうもこのペースで個人ワークをやっているだけでは早晩頭打ちだろう。個人技だけでなくて、編集とかディレクションの力と役回りを持っていかないととは思う。そういうのは待っていないで作っていかないといけない。

「シャカイジン」という言葉は、社会の中に生きる人全般ではなくて大概は「給与所得者」だとか「企業務勤め人」の意味で使われる。規模と時間と多様性の面で、そうした立場に身を置いて初めて学ぶことも多くあり、一定の妥当性は認めるが、自分が呼ばれるにしても誰かを呼ぶにしても未だに苦虫の味がして仲良くなれない言葉である。

苦いものは身体に良いと聞くので黙って受け取ることにしている。

Be gritty

July 2nd, Wednesday 2014

At office, our team had a dialogue to think and visualize what our team is pursuing for, children, families, local community, society and for each of ourselves. Though busy days continue, there’s no reason to forget our long term vision.

大きな会社で働くのは面白い。

目先の現実を直視しなければおまんまが食えない。遠くの理想を追わなければなんのためにやっているのかよく分からなくなる。これは別に会社組織に限ったことではないけれど、抱える人員が多ければ必然、前者が崩れた時に露頭に迷う人が増えるわけで。ごちゃごちゃ言わずに数字取ってきなさいよ、というのは一面正しい。組織が大きければ大きいほどこの締め付けは強くなりやすいから、その上で理想ー遠くの目標をどこまで追いかけられるかというのはけっこうエキサイティングな挑戦だと思う。

一方、短期の目標にとらわれない自由な「遊び」の時間で生まれたイマジネーションや出会いが思わぬ結果に繋がることもある。ただこれは何時間投入すればどれだけ結果が出る、というものでもなく、一見効率性とは対極にあるように見えるため、「遊び」の時間を堂々ととることに躊躇いを覚える人も少なくない。

しかし「遊び」から生まれたイノベーションが結果的に短期中期の業務効率改善やサービスの変革に繋がることもままある。

「腹をくくって」遊ぶ、というと肩に力が入ってて本末転倒だが(笑)、「開き直って」遊ぶ、というのが大事なのだ。

特に僕の場合は、ウロウロフラフラしながら新しいものや場所やアイデアや繋がりを見つけてくることが、他者やチームに貢献する上での重要な張りどころである。月々の個人目標の達成や、きちんとルーチン業務をやるというのは当然として。

One coin for one song. / 7月が来た。

July 1st, Tuesday 2014

When I was in New York City, I met with street performances everyday, indeed everyday whenever I left my room and went out to the town. Here now in Tokyo, though there are street musicians too, but less frequently I meet. The fewer prevalence, the less likely I meet such a song which I like. But today’s a good one.

When I crossed at the cross walk on a way from an office I worked today to Shibuya station, I met a street duo performing. One is a guy playing the guitar and singing melody lines, and the other guy for rap. Their song were far less noisy, but a comfortable, and somewhat groovy one. Though I don’t know which genre it is in, I felt it fit the mood of this crowded, chaotic but somewhat lovely town Shibuya. So I stopped for a few minutes and listened to their song.

When they finished the song with the rap guy calling for tips grooving on his rhyme, I opened my wallet and put my gratitude. It doesn’t matter whether it’s $1 bill or ¥100 coin I toss for the song I like. The guitar guy who looked like a Japanese said to me “Thank you,” and the other who looked like a man from abroad said “Arigato.”

6月が終わって7月が来た。鬱陶しい湿気と、度々降る豪雨、梅雨はもう少し続きそうだが、時期に夏が来る。じめじめとした東京であくせくした日々を過ごしていると、梅雨の無いNYがいささか懐かしくなることもあるが、とはいえやっぱり東京の夏は好きだ。別に張り切って海に行かなくとも、僕はビールと浴衣が日常の中にあればそれで幸せである。人がごった返す花火大会や縁日にわざわざ行かなくとも、祭りが終わって家路に着く人々を電車や交差点で眺めながら、夜の街を包む少しのさみしさを感じることができればそれで十分である。

6月はあっという間に過ぎた。人と口頭で話す時間、情報処理や事務的なメールの時間が多かったからか、日記を含め、ここで文章を全然書かないままに終わってしまった。仕事柄、話し言葉と身振りと即妙のアイデアを駆使してお子さんと向き合うため、書くこととはまた違ったコミュニケーションの筋肉は鍛えられているのだと思うが、そうは言っても、ずっとそれでは何も書けなくなってしまって、いざというときに困る。現にひとつ原稿を書きあぐねている。あまりうまくやろうとするとよくない。リハビリも兼ねてしばらくはまた日記をこまめにつけていくことにする。

写真をもっとちゃんとやろうと決めて、ランチの後に友人に練習に付き合ってもらった。代々木公園でポートレートを撮った。人物撮りと物撮りがもうちょっとうまくなると、ライター稼業をやる上でも役に立つだろう。週に1度は誰かを誘ってポートレートを撮っていくことにする。

Seeing others, seeing myself / 最近のこと

May 26th, Monday 2014

About two monthe are passing since I started my new job in Tokyo from April. Now I’m working at a private company which aims to expand each individual’s potential and open the door to education and job through their service, especially for those who have had barriers to education and job opportunities because of their disabilities, or developmental characteristics that have not been fit to the ‘standard’ systems in a current society. After a training session, I was placed at a education and learning devision, and now works at one of the private cram schools (‘juku’ in Japanese). Meeting children who comes there, I confirm the simple fact that each child passes different, unique process of development and learning, and any one of them never be ‘wrong’. Still just started, I’m highly motivated to support and boost their learning, and cultivate inclusive environment in society. And… also I look back the past events in my life, and think again my developmental characteristics and process. Though not so severe, I often feel, I’m unfit for a group, community, or society which I belong to, and struggle with that feeling. Sometimes I even feel, I’m a wrong person in society. But gradually, I understand myself better and better, and find ways to tune with the outside world. Seeing others, including children coming to the school, is seeing myself again and again.

新しい仕事を初めてもうすぐ2ヶ月になる。研修を終えて、これから本配属というところで、少しずつ新しい配属拠点に慣れているところ。お子さんの学びを応援する仕事である。うちに来るお子さんは、今の日本の学校システムのスタンダードに、あるいはそこで展開される教育手法やプロセスになかなか馴染めなかったりついていけなかったりと、悩みや生きづらさを抱える子が多い。それは狭義の、あるいは分かりやすい「障害」を抱えているといったことに限らない。うちは、一人ひとりの発達特性や、課題・悩みに合わせて、オーダーメイドで授業や教材を設計して指導にあたる。人によって視覚優位だったり聴覚優位だったり、座るのが苦手だったりめちゃめちゃ気分屋だったり、紙よりタブレットが良かったり、まぁとにかく色々なのだが、それでも火がつく瞬間、楽しんで集中できる時間、学びが進展するポイント、というのは一人ひとり、必ずある。

詳しいことを書き始めるとキリがないので、ここらにしておくが、そうしてお子さんと向き合っていると、必然、自分自身の発達特性も振り返ることになる。よくもまぁどうにか社会で暮らせていけてるものだなという思いと、過去の失敗・トラブル振り返っての情けなさと、半々。とはいえ少しずつ、着実に、自分の苦手な相手やコミュニケーション不全のパターンを理解して対応できるようになっている。

色々な人が、色々なことを言う。それぞれの人に、信念があり、その人なりに思いやりを持って言葉をかけてくれていると知っている。生き方とか、キャリアとか含めて、今すぐに応えられないことも多く申し訳ない思いもあるが、あまり外波に揺られすぎると頭が混乱してしまう。

今はたとえば、ちゃんと食べて寝るとか、朝座禅をするとか、トラブルや予想外のことがあったら深呼吸するとか、苦手なパターンや人と出会っても、一回一回分析してパターンを増やすとか、自分の状況をわかりやすく説明するとか、日々小さな結果を出すとか、自分のコンプレックスもちゃんとネタにして笑いに変えていくとか、とにかくそういうことをちゃんやって生きることを第一に考えている。

近づいた、重なったかと思ったらバチンと断絶することも、しばしばある。それは罪の意識なのか恥の意識なのか分からないけど、底の方にそれらの想い出が抜けない杭のように刺さっている。

どうしようもないけど、仕様がないなかでなんだかんだ生活は続く。

ま じ わ ら な い 人生、も、ある、あるいは、あった。たくさん。これからも、ある。それにうなづくことは、ぼくをまたすこしやわらかくする、であろう。