Posts By: yuhei

Diary: 2019/04/22

お昼を食べながらよもやま相談に乗っていたら、いい意味で「砂みたい」だとの評をいただいた。しかしまぁ、言い得て妙である。

移動中、南武線の車内。車椅子に乗った、小学生高学年〜中学生ぐらいの男の子が、車内アナウンスにならって駅名を嬉しそうにつぶやいていて、隣に座るお母さんは、勢いで動く彼の腕が他の人に当たらないようにさりげなく抑えながらもにこにこと話を聞いていた。彼の隣に、ベビーカーに乗った生後2-3ヶ月ぐらいの赤ん坊とそのお母さんがやってきて、2-3駅の間、車椅子の少年とベビーカーの赤ん坊が並ぶ構図になった。それがただ、とても美しいと思った。

誰かを支え応援する役割にある人をも孤立しないように、個人間のホットラインと、集団内での開かれたダイアローグの場を、網の目のように張り巡らせていくことが、色んな意味でサステイナブルなんだろうという実地感覚をますます強める。

「語りえないことについて語ること」から始めるという知人の寄稿文を読む。本当に大事なことは語りえない。断片を語ることによってその語りえない空白の輪郭を描くことはできる、ということだった。

もっともだという戒めを受け取りつつ。

同時に、やはり最終的にはフィクションの方にいかざるを得ないという予感を覚える。

Diary: 2019/04/21

4月に入って3週間。昨年度より引き続き、の部分と、ちょっと動きつづも徐々に引き継ぎフェードアウトしていく部分と、新しく本腰入れて挑戦していくことと、それ以外もろもろの日々の暮らしと。世の中スパッとシンプルには切り替わることばかりではなくて、絵の具を垂らしたマーブル色の水の色合いが、比率が、じわじわと移り変わっていくような感じで進んでいく。

今まで以上に自由にふらふらと動けるようになって、もはや何屋だという感が強まっているけれど、性分に合っていると思う。詰め込みすぎないように総量コントロールは大事。

「寛解」はやっぱりもう少し先かなぁという感覚。やはり土日はぐでーんと寝ている。

「寛解」したとしても、それは病気になる前に「もとどおり」ってことではないだろうと思う。最大HP・MPが下がったままの状態で、どう自分の心身と折り合いつけながらやっていくかという世界。そういう変化を悪いことだとは思わないけどね。

夏目漱石が『草枕』で描いたような”非人情”の世界に自分は生きているのだなと改めて自覚する。関わる人たちに対して誠実たろうと思うが、一方で個別の事象・経験はすべて芸の肥やしというか、人類とか普遍性のこと考えているので薄情になるというか、みんな大切だけどみんな大切じゃないというか。

これまでの人生で出会い、関わってきた人たちに愛着や誠意や責任感は確かにあるんだけど、一方でものすごい淡白で薄情っていうか、まぁみんな諸行無常いろいろあるよねみたいな醒めた目線があり、出会ってきた人と交わしてきた言葉、やってきたこと、それを最終的には書くことしかないんだろうな。

Diary: 2019/04/08

年度が変わって最初の一週間。思いの外めちゃんこ働いてしまった。怒涛の引き継ぎと締め作業。

無事、発達ナビ編集長を引き継ぎました。 https://h-navi.jp/column/article/35027281 いやー3年間よう働いた。仕事や所属が大きく変わるときに、なんの憂いも未練もなく、むしろより大きな期待を持って手放せるというのは、幸せなことだと思う。

これからのことを書いた。 https://note.mu/yuheisuzuki/n/n537181561d75

この週も、ここに書いたことに関係する動きがいくつか動き出していて。

会社の方で、これから伴走していく新たな仲間との面談。訥々と、どきどきそわそわもありながら、でもまぁこれから楽しみだねって、1時間ぐらいお話した。彼女に僕はどんなことができるだろうな。

PIECESの全体会にはじめて参加。団体が2つにわかれて、PIECESはPIECESでこれから新たな体制でスタートするにあたってみんなでお話。まだ「ことば」は最終的決まっていないなかでも、「目指しているのは、こういうこと」というのを、いまの段階で語れる限りにおいて語り、それをもとにまたみんなで感じたことを分かち合う。しっくりきたこと、もやっとしたこと、どちらもフラットに出てきていて、なかなかいいなと思った。

アパートメントのリニューアル会議。サイトの構成や機能はだいぶかたまってきて、それをどうデザインも込みで表現するかというところで、いよいよ本腰です。

soarは、今年はちょっと今までと違う感覚をスタッフも経験するかもしれないな。踊り場的な時間に、焦らずエネルギーを蓄えること。その中でもどこに向かっているかを見失わないこと。

西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』を久しぶりに再読。自分が今年出す書籍も、こんな風に旅をして書いていくイメージ。編集していただくのも、同じ晶文社の安藤さん。がんばるぞ。

4/2-4/6の間、友人たちと一緒にファスティングをした。ファスティングすると感覚が冴えるってみんな言うし、実感値としてそれはあるんだけど、なんか躁鬱の躁っぽい状態に近い気がして、そういうときって全能感出てきたりしてそれがあまりよくない方向に働くこともあるからまぁ良し悪しだよね、セルフコントロールはどういう状態でも大事だよねっていう。

日曜日、鎌倉の方にお見舞いに行く。「ゆうへい、まだ本調子じゃないね」と、お見舞いに行ったのに病歴が長い先輩にそう言われてしまってなんだかわらった。「いやーもう70%ぐらいですよ」「いや30%ぐらいっしょ」「もう平日日中は働けるんですけどね、土日はやっぱほとんど寝ちゃいますね」「そうだろ、働けちゃうんだよな。だから治んないんだよ笑」だって。へへへ。

自分の身体や社会関係のなかのさまざまな「リスク」。どんなリスクがどの程度あるかというある程度フラットな見積もりと、その上で、仕事の種類によるそのリスクの受け取られ方の違い、など。

病院のエントランスパネルでは「がんと哲学Cafe」っていうイベントのお知らせがあった。近くのお寺でやるんだって。

帰り際、「なんか僕にできることあったら言ってくださいね」「お前そういうこと言うから色々仕事抱えちゃうんだよ」って。へへへ。

Diary: 2018/05/26

財布を落としたんだけど届けを出したら1日で見つかってしかも中身も全部無事みたいな平和な出来事があったわけですが、それにしたって僕、お会計をして、お店を出た直後にタクシー捕まえて乗ったのに、そのわずか5歩ぐらいの間で落とすとかまったくどうかしてます。

とある研究会で佐藤研吾に福島県大玉村の「歓藍社」について話してもらって、やはり非常に面白いし、近い内に僕も行かねばなという思いを強くした。リーダーが不在で、かかわるそれぞれにある「ひょんな」きっかけで、ゴロゴロと玉を転がしながら、遊ぶようにして色々な物が生まれ、交わっている。村全体に「藍染め」を通じた通年のリズムがあって、そういう、ひとつの型が決まった循環の中に遊びが生まれるというのが、とてもおもしろい。

アマチュアの語源はアモーレ、愛することだという話を聞いて、その瞬間に僕の中でなにか風景が広がったような感触を得た。

ビジネス・パラダイムも、産業構造も、その土地に暮らす人の生活原理も、一人ひとりが信望する物語も、あらゆる局面において、なにか「たったひとつ」のものが過去に取って代わるということはなくって、重曹的に、多層的に存在している。しかし、時代が変化していくに応じてどんな物語が存在感を増してくるのかという違いはあるし、また自分が何に力点を置いて行動するかを選ぶ余地は十分にある。

愛着や楽しさに突き動かされて、軽やかに、遊ぶように越境していくアマチュアたちが、どうやって出会って、どんな波を起こしていくのかが、とても重要になってくるように思う。

「なんにもできない人」「何者でもない人」であるということを、もっとポジティブに捉えられる社会になるといいなと思う。

僕はたぶん、どれだけヘラヘラしていられるか、ということが、とても大事で、それは自分が心地よいという意味だけでなく、周囲に対してなにか良いものをもたらすためにも、という意味でだ。

目標と役割を置くことの意義は否定しない。ただ僕の場合、予定調和的に現実を追いつかせていくための諸々のケアにエネルギーを取られると、あんまりよくないことがもうわかってきているので、そのあたりの塩梅というか、てんでばらばらに放牧してても大丈夫でっせみたいなそういう状態をはやく作りたいなぁと思ってあれやこれやがんばっている気持ち。

Diary: 2018/05/19

最近連戦連敗だったムスメの寝かしつけ(抱っこして寝かせてもベッドに置くと背中スイッチが入って泣き出す)に、久々に成功し、妙な達成感を得てリビングに戻り、この日記を書いている。

「パパになってみてどう?何か変わった?」
「なんというかこう、一気に何かが劇的に変わるってわけじゃないんだよ」

午前、久しぶりに会った友人と本郷三丁目のサンマルクで相談ごとをして、そのまま本郷の山手ラーメンに行き、今日は東大の五月祭だというので限定メニューのみかんラーメンを食べ、帰りの電車で聞かれた。

実際のところ、子どもが生まれたからといって、人生がある日突然何か大きな音を変えてガラガラと形を変えるということはなく、しかし段々と、自然なペースで、というかなるようにしかならない現実のスピードで、子どもがいる生活、というもののリズムが自分の中に組み込まれている感じがする。それは、なるべくお風呂に入れる時間に間に合うように帰るようにすることだったり(とはいえ仕事が忙しかったり誰かと会う予定を入れたときにはツマがワンオペ対応をしてくれている)、ムスメが寝ている間にささっと2人でご飯を食べて、目覚めるタイミングに合わせてお風呂→授乳→寝かしつけオペレーションをやるということであったり、途中で目覚めてグズったときにはおっぱいが出ないかわりにハーフスクワットを繰り返したり、打ち合わせを時にオンラインで行ったり、相手と話題によってはムスメと遊びに来るがてら我が家で実施することにしたり、昼間の仕事でも何かと育児にちなんだ贈り物をもらったり(社内だけでなく商談相手からも!)、そういう日常のあれやこれやである。

体力や時間の天井は下がったなという感覚があるが、特段に活動や交友関係に制限ができたという感覚は今のところはない。「子どもが産まれると人生の主人公は自分から子どもに変わる」みたいな話をよく聞くし、それはもう少しムスメが大きくなると実感するのかもしれないけれど、子どもが常になんでも中心、というわけでもなく、今のところ僕は僕で好きにやらせてもらってはおり、ただ、周囲の人たちはなんとなく程よい距離感でムスメのことや、父親・母親になった僕たちのことを気にかけてくれており、話題の端々にもムスメのことや子育てのことが登るようにはなり、それがまぁ自然な程よい塩梅で、ありがたいなと思う。

もちろん僕が引き続き、割りと自由に動いていられるのは、育休に入っているツマのおかげということも大いに自覚した上で、(本人はムスメとの時間を楽しんでいるとは言うが)、どのように二人と一人で新たな家庭を営んでいくかということは今後も引き続き相談しながら考えていく必要はあるのだけど。

体力と時間の天井と言えば、昨年度秋頃から、会社では3つのグループのマネージャーを兼任することになり(編集部2つと営業)、複業で関わっているNPO等々の方も色々と新しい動きがあり、さすがに20代の頃同じような働き方では立ち行かないなぁという感じで、なかなか難しさもあったのだけど、ここ最近ちょっと様相が変わってきたというか、メンバーそれぞれが責任持ってリードしていく領域がいい感じに立ってきたり、それぞれの基礎筋力がだいぶ上がってきたり…というのが同時多発的に起こっており、見ていて非常に頼もしく、ときおり「あれ?俺やることねーな」の瞬間があったりして、おーなんか風景が変わってきたなぁという手応え。みんなが思いっきり走れる環境やネットワークを作ったり、少し先を考えることに専念しやすくなってきた。

担当する面が広がって自分の手では最早回らなくて必然的にそうなったのもあるけど、最近だいぶマネジメントそのものを楽しめている感がある。それは組織の物語を編集する営みと言っても良いかもしれない。

スタッフとの面談でも、誰かとの対談やインタビューでも、同じ時間を過ごして、言葉を交わすなかで、その人の物語が拓かれていく時間がとても好きだ。少し前は想像もしていなかったけれど、そういう役回りが向いているのかなという感覚もある。

一方で、なかなか自分に立ち戻って文章を書く、というのが難しくなっている。noteじゃなくて、順子さんに作ってもらったこの個人サイトに久しぶりに戻ってきたのもそれをどうにかする必要があるなと思ってのことなんだけど、なかなかこう、商業ベース・事業ベースに乗っている媒体や、その周辺で動く人たちのリズムやスピード感に乗って筆を動かせないというのがあって、かといって自分もその一隅を占めて働いている人間でもあり、そこを離れたリズムでさぁ書こうと夜中にPCを開いてもうまくいかない、ということをここしばらく繰り返してきた。

人が生きていく上で、一人ひとりが抱えている、他人からしたらわからないけれどどうしても大切な襞のようなものに対して、ちゃんと誠実であるためには、やはりけっこうなエネルギーと時間が必要で、同時並行というのは非常に難しい。なかなか片手間にはできない。一方で、片手間でも少量でも、毎日書かなければ、書かないだけ感度も筋力も衰えるのだろうという感もあり、あともう少しだけ余白が必要だなと。

Diary: 2017/08/14

いつだってお金もヒトも時間も、資源は有限なので、やらないことを決めたりとか、明確な目標と指標を持ってそこに向かって資源を投下していくという判断は必要なのだけど、それはそれとして、人とかサービスの非線形な進化は既知の視野と前提の延長からはなかなか生まれないもので、それらはやっぱり聴くことー普段の会議とは別でスタッフと1on1するとか、dailyの数値報告ばっか読んでないで生身のユーザーに会いにいくとか、人が集まる場を観察するとか、そういう機会を意識的に作っておく必要がある。そのためにはやっぱり一定の余裕が必要だ。

関わる一人ひとりが何を望み願っているのか向き合えるだけの感受性と余裕を持っておきたいし、一人ひとりの本気の「やりたい」とか、それが偶然出会ったときのセレンディピティを、「できたらいいね」で終わらせずにちゃんとサービス・コミュニティの進化に結びつくかたちで企画にできるキャパを持ちたいし、そのためにはまぁ直近もうちょっと稼いで余剰を作る必要はやっぱりあるし、そう考えると短期的にはまだまだしゃかりきやらんとなぁというところでもあるけど、まぁでも倒れたり感性パサパサになったら元も子もないので(はじめに戻る)、踏ん張ったり折り合いつけたり短期で目に見える成果を出したりまぁそこら辺はうまいことやりつつ乗り切っていくのだ。

Diary: 2017/08/08

「うまくやろう」という内圧は恐ろしいもので、それは他人に「見られている」ということを意識すればするほどそうだ。

「予定調和は嫌なんだよね」と言いつつ、ちょっと油断したり、慣れたりすると、考えずにこなれた結論や対応に寄せていってしまうもの。

小さなミスやほころびは指摘もしやすいしそれ単独の手当も容易い。

ほころびを許さずスキマのない時間・空間・振る舞いでがんじがらめにすることで、減点はなくせるかもしれない。そこで失われた学びの機会に目を背けて良いのなら。

「守るべきもの」と思っていることが、実は自分で勝手に大きくしてしまった幻想であったり、鎧を脱いだ先に得られるものの大きさを考えると些末なものであったりすることはきっと少なくない。
  
 
 
少し乱暴に書いたきらいはある。

現実はもう少し複雑で、簡単ではなく、多くの善意と頑張りと漸進的改善のなか、しかしどこかで不調和が起こっている、というようなものなのかもしれない。

そうだとしても、そうであるならばなおさら、今、ここにいる当事者である「わたし」が本当にすべきことはなにか、を考えるべきだ。
  
 
留まることより変わり続けることの方がよほど難しく、だけどきっと楽しい
 
 
昨日はひさしぶりにconfort zoneの外側に踏み出すような経験だった

心拍は上がり、終わったあとにどっと疲れた。ただ、少しの心地よさと、いつもとちがう「感触」を手にしている

Diary: 2017/07/25

もう少し好きにやった方がいいんだろうなと、最近。

こないだ管理職研修の一環でストレングスファインダーをやってみたら、周囲の人たちが「戦略性」とか「最上志向」とか出るなかひとり「運命思考」とか出ちゃったもんでお笑いネタだったわけで、そんな自己啓発本に影響されるかよーとか思いながらも、まぁやっぱりそうだよなぁという納得感というか諦めもあり。

頭と言葉と調整力を使うのならば、予定調和なところに寄せにいくんじゃなくて直感を正解に変えていけるだけの環境をつくっていったほうが、結果皆さまのお役に立てるのではないかと思う。

先日、編集者としてもひとつのブレイクスルーだったなという記事が一本ありました。
https://h-navi.jp/column/article/35026458

組織運営上は、コツコツと積み上がってはいるものの、ややプラトー気味というか、チームメンバー一人ひとりにもう1,2段のジャンプが求められるところで、ただ自分の介入のタイミングとして、個々が考えて試す余地をあまり残せていないなとか、そのための時間的余白を作れていないなとか、そこら辺の問題意識と反省もあり。方向性と役回りと期待値と、もう少し思い切って踏み込むのも一つかなと思いもする。

書き手としてはめっぽう筆も重くなり原稿も溜まる一方ですが、今日は久しぶりに、というかこれまでで1,2に入るぐらい、いいインタビューの時間を過ごさせてもらったなという感触があり、これがひとつのきっかけになればと願う。

先週は大阪・仙台・長野となんだかよくわからない頻度と距離で移動をした。
さすがに週末はぐったり疲れたけれど、たくさん動いて人と会って話をして、あぁでもこれが僕の本来担うべき役割や動きだなぁという実感も。

どのみち器用に理詰めで動ききれないところはあって、効率を言い出すときりがないけど、ランダムウォークからのセレンディピティみたいなものの積み重ね、あるいは数珠つなぎでここまできたところはあるので。

何かしら理由をつけて月に一度ぐらいはどこかへフラッと旅に出るぐらいの過ごし方をほんとに確立させていこうかなと。

思考や価値観が滞留しないよう、なるべく風通しよく
だけど、感じたものを咀嚼し言語化するだけの時間は確保できること

あとはそうだね、こぼれた球を拾ってくれたり、〆切逆算でケツ叩いてくれる優秀な編集者さんをだな…

Diary: 2017/07/03

違和感センサーというのは大事だなと思う
それから、違和感を感じたときにそれを表明し、ふんばる勇気というのも大事だなと思う

それからこの両者は相互に連関していて
勇気を出して違和を発するということを、あまりにしないままでいると
違和感をそもそも感知できなくなってくる
センサーが鈍ってくるのだ

異なる利害関係者の間に立って調整する
現実的なプランに落とし込む
いずれも実務家としてやっていくは必須とされるスキルなのだろう

それ自体が無駄だとは言わないけれど
習慣というのは恐ろしいもので
調整役に回ることがあまりに続くと
そもそもの目的としていた出発点からそれていったり
些末なことに気を取られてエネルギーが分散したり
しまいには
本当は「利害関係者」の他ならぬ一人である自分の意思を疎外することになっちゃったりして
たまに浮かび上がる違和感にも自信が持てず、「まぁみんなの言うことも一理あるかぁ」みたいな感じで
知らず知らずのうちにおさえつけちゃったりするもんだから
要注意である

今日はいくつか
全体としては小さいけど
自分としてはけっこうな意味がある意思決定をした

「そもそも」のところにどれだけフォーカスできるか
そのためにどれだけ余分なものを手放せるか

小器用に並走させるにも限度があるので
そろそろ「やめる」「手放す」ことの持つ効果が大きくなってくるフェーズかな

実務をやりながら、その上でどれだけ感性を瑞々しく保っていけるか
ちょっとしたリハビリのような気分だよ