Monthly Archives: May 2018

Diary: 2018/05/26

財布を落としたんだけど届けを出したら1日で見つかってしかも中身も全部無事みたいな平和な出来事があったわけですが、それにしたって僕、お会計をして、お店を出た直後にタクシー捕まえて乗ったのに、そのわずか5歩ぐらいの間で落とすとかまったくどうかしてます。

とある研究会で佐藤研吾に福島県大玉村の「歓藍社」について話してもらって、やはり非常に面白いし、近い内に僕も行かねばなという思いを強くした。リーダーが不在で、かかわるそれぞれにある「ひょんな」きっかけで、ゴロゴロと玉を転がしながら、遊ぶようにして色々な物が生まれ、交わっている。村全体に「藍染め」を通じた通年のリズムがあって、そういう、ひとつの型が決まった循環の中に遊びが生まれるというのが、とてもおもしろい。

アマチュアの語源はアモーレ、愛することだという話を聞いて、その瞬間に僕の中でなにか風景が広がったような感触を得た。

ビジネス・パラダイムも、産業構造も、その土地に暮らす人の生活原理も、一人ひとりが信望する物語も、あらゆる局面において、なにか「たったひとつ」のものが過去に取って代わるということはなくって、重曹的に、多層的に存在している。しかし、時代が変化していくに応じてどんな物語が存在感を増してくるのかという違いはあるし、また自分が何に力点を置いて行動するかを選ぶ余地は十分にある。

愛着や楽しさに突き動かされて、軽やかに、遊ぶように越境していくアマチュアたちが、どうやって出会って、どんな波を起こしていくのかが、とても重要になってくるように思う。

「なんにもできない人」「何者でもない人」であるということを、もっとポジティブに捉えられる社会になるといいなと思う。

僕はたぶん、どれだけヘラヘラしていられるか、ということが、とても大事で、それは自分が心地よいという意味だけでなく、周囲に対してなにか良いものをもたらすためにも、という意味でだ。

目標と役割を置くことの意義は否定しない。ただ僕の場合、予定調和的に現実を追いつかせていくための諸々のケアにエネルギーを取られると、あんまりよくないことがもうわかってきているので、そのあたりの塩梅というか、てんでばらばらに放牧してても大丈夫でっせみたいなそういう状態をはやく作りたいなぁと思ってあれやこれやがんばっている気持ち。

Diary: 2018/05/19

最近連戦連敗だったムスメの寝かしつけ(抱っこして寝かせてもベッドに置くと背中スイッチが入って泣き出す)に、久々に成功し、妙な達成感を得てリビングに戻り、この日記を書いている。

「パパになってみてどう?何か変わった?」
「なんというかこう、一気に何かが劇的に変わるってわけじゃないんだよ」

午前、久しぶりに会った友人と本郷三丁目のサンマルクで相談ごとをして、そのまま本郷の山手ラーメンに行き、今日は東大の五月祭だというので限定メニューのみかんラーメンを食べ、帰りの電車で聞かれた。

実際のところ、子どもが生まれたからといって、人生がある日突然何か大きな音を変えてガラガラと形を変えるということはなく、しかし段々と、自然なペースで、というかなるようにしかならない現実のスピードで、子どもがいる生活、というもののリズムが自分の中に組み込まれている感じがする。それは、なるべくお風呂に入れる時間に間に合うように帰るようにすることだったり(とはいえ仕事が忙しかったり誰かと会う予定を入れたときにはツマがワンオペ対応をしてくれている)、ムスメが寝ている間にささっと2人でご飯を食べて、目覚めるタイミングに合わせてお風呂→授乳→寝かしつけオペレーションをやるということであったり、途中で目覚めてグズったときにはおっぱいが出ないかわりにハーフスクワットを繰り返したり、打ち合わせを時にオンラインで行ったり、相手と話題によってはムスメと遊びに来るがてら我が家で実施することにしたり、昼間の仕事でも何かと育児にちなんだ贈り物をもらったり(社内だけでなく商談相手からも!)、そういう日常のあれやこれやである。

体力や時間の天井は下がったなという感覚があるが、特段に活動や交友関係に制限ができたという感覚は今のところはない。「子どもが産まれると人生の主人公は自分から子どもに変わる」みたいな話をよく聞くし、それはもう少しムスメが大きくなると実感するのかもしれないけれど、子どもが常になんでも中心、というわけでもなく、今のところ僕は僕で好きにやらせてもらってはおり、ただ、周囲の人たちはなんとなく程よい距離感でムスメのことや、父親・母親になった僕たちのことを気にかけてくれており、話題の端々にもムスメのことや子育てのことが登るようにはなり、それがまぁ自然な程よい塩梅で、ありがたいなと思う。

もちろん僕が引き続き、割りと自由に動いていられるのは、育休に入っているツマのおかげということも大いに自覚した上で、(本人はムスメとの時間を楽しんでいるとは言うが)、どのように二人と一人で新たな家庭を営んでいくかということは今後も引き続き相談しながら考えていく必要はあるのだけど。

体力と時間の天井と言えば、昨年度秋頃から、会社では3つのグループのマネージャーを兼任することになり(編集部2つと営業)、複業で関わっているNPO等々の方も色々と新しい動きがあり、さすがに20代の頃同じような働き方では立ち行かないなぁという感じで、なかなか難しさもあったのだけど、ここ最近ちょっと様相が変わってきたというか、メンバーそれぞれが責任持ってリードしていく領域がいい感じに立ってきたり、それぞれの基礎筋力がだいぶ上がってきたり…というのが同時多発的に起こっており、見ていて非常に頼もしく、ときおり「あれ?俺やることねーな」の瞬間があったりして、おーなんか風景が変わってきたなぁという手応え。みんなが思いっきり走れる環境やネットワークを作ったり、少し先を考えることに専念しやすくなってきた。

担当する面が広がって自分の手では最早回らなくて必然的にそうなったのもあるけど、最近だいぶマネジメントそのものを楽しめている感がある。それは組織の物語を編集する営みと言っても良いかもしれない。

スタッフとの面談でも、誰かとの対談やインタビューでも、同じ時間を過ごして、言葉を交わすなかで、その人の物語が拓かれていく時間がとても好きだ。少し前は想像もしていなかったけれど、そういう役回りが向いているのかなという感覚もある。

一方で、なかなか自分に立ち戻って文章を書く、というのが難しくなっている。noteじゃなくて、順子さんに作ってもらったこの個人サイトに久しぶりに戻ってきたのもそれをどうにかする必要があるなと思ってのことなんだけど、なかなかこう、商業ベース・事業ベースに乗っている媒体や、その周辺で動く人たちのリズムやスピード感に乗って筆を動かせないというのがあって、かといって自分もその一隅を占めて働いている人間でもあり、そこを離れたリズムでさぁ書こうと夜中にPCを開いてもうまくいかない、ということをここしばらく繰り返してきた。

人が生きていく上で、一人ひとりが抱えている、他人からしたらわからないけれどどうしても大切な襞のようなものに対して、ちゃんと誠実であるためには、やはりけっこうなエネルギーと時間が必要で、同時並行というのは非常に難しい。なかなか片手間にはできない。一方で、片手間でも少量でも、毎日書かなければ、書かないだけ感度も筋力も衰えるのだろうという感もあり、あともう少しだけ余白が必要だなと。