Monthly Archives: March 2014

Surely I need… / 夕暮れどきの空の、白んだ光が好きだ

March 29th, Saturday 2014
“Maintenance” doesn’t mean no-change. Keep changing, that only can balance your life.

After coming back to Japan, I’m still living on busy days, and have not yet completed preparation for a new life from 1st April, nor haven’t finished a few works I’m involved in. Yes, I know, life doesn’t change so easily, nor in a so simple way. Every transition is gradual process, so I need to manage my time by myself. While starting new job and life in new town (Asagaya), I need to meet finished writing and reporting, and meeting friends who welcome me back. Yes, it’s my fortunate, so many person take care of me, and give opportunities. It’s my responsibility to reply to them, and I hope to do so. Surely I need a little change.

Only one simple fact is, this is Spring. Cherry blossom and warm weather makes me happy.

午前は健康診断。中央線各停に乗って阿佐ヶ谷から大久保、新宿検診プラザへ。今日も人身事故があり、電車に遅れが出ているらしい。僕は、駅に着いた際にその遅れてきた電車に乗ったから、別に影響は受けていないのだけど。車内アナウンスを聞きながら、考えた。中央線はよく停まるが、その発生頻度と原因はどのように分布しているのだろう。つまり、電車が停まるようなアクシデントが起こるのはどの駅が多いのか、またその原因のうち、悲しいことに飛び込み自殺や転落事故による死亡・負傷がどれぐらいを占めるのか、線路上にちょっと人が入ってきたとかゴミが飛んできたとかいう、大事に至らないトラブルと比べてどれぐらい死傷事故が多いのか、それぞれのケースにおいて復旧に要する時間はどんなものなのか。そのオペレーションは。気になった。JR車内にはもちろんデータが蓄積されていることだろうと思うが、それは対外的に公表されているのか、インタビューすれば教えてもらえるものなのか。学問的にどのような調査研究があるか(実態調査か、予防・減少のための介入研究か)。都内のどこかで電車が停まるたび、その情報は瞬時にtwitterで流れてくるような時代にあって、なんなら乗客の立場としては「こんなときに人身事故かよ、急いでるのにふざけんなよ」と、余裕がなければそんな気持ちにもなる世の中に生きて、だけれどもその内実は何も知らない。亡くなった人の個人としての物語はおろか、それよりマクロな、統計上の数値、概観すら、実は知らないのだ。

もちろん日常生活でいちいち事故の詳細、たとえば死体が、どんな壊れ方をしたかなどという情報を全員に知らせていては、それはそれで社会がどんよりしたものになる。そんな懲罰的に耐えられる精神を持った人はほとんどいないだろう。だから日々の平板な「人身事故により運行に遅れが生じております」アナウンスも、社会のひとつの優しさである。

午後に田口ランディさんと村上光照師の対談イベントに行った。座禅とかみさまとほとけさま、というタイトル。ランディさんの新刊刊行記念とのこと。ランディさんを生で見るのは初めてだ。本がとても好きなのだ。想像していた以上に小さかった。それからランディさんと村上先生の笑顔はびっくりするほどかわいかった。

身の回りにスピリチアルだったりリリジャスなものに従事している人が多く、それ以外でもなんというか震災後のご縁は地方指向とかロハス・エコとか、狩猟と屠殺とか、食文化とか、ものづくりとか、舞踊とか、身体性重視な感じの人が多くて、自分もまぁなんだそっちの方向に向かっている気がしないでもないしとはいえ霊感はからきし無いしなんだけど、難しいのが僕はまだ「一抜けた」できないというか、やっぱり向上心とか反骨心とか悔しさとか寂しさとか欲とかそういう負の感情が自分を奮い立たせドライブしてくれている部分も非常に大きく、なんだ、若いんだ。要は。

だからこういう場にいて、時間を過ごすというのはいつも難しい。自分で選んで赴いているのだけど、どうも場違いな気がするし、自分にとってこういう類のものが必要なのかもまだ必要でないのかも微妙なところだ。

白金でちょっとだけ会って、桜のポストカードを渡した。
夕暮れどきの空の、白んだ光が好きだ。


うとうとしながら丸の内線で阿佐ヶ谷南駅に降りてそこから北上して帰宅する過程で横浜家系ラーメンの店があって以前から一度入ってみようかなという気になっていたのでこの際いいかと思い入って食べてみたら案の定もう僕の身体はとんこつラーメンがそんなに好きでないようでもちろん確かに美味しいのだけど単純にしんどくて最後までスープを飲みきれず「お残しは許しまへんで」の日本人的美徳を守ることもできずあーあとなって帰宅した。いつもより早い時間に帰宅した。色々やることがあるから進めようと思ったけど結局そのまま電気も消さずに朝まで寝てしまった。

それにしたって部屋が散らかっていて不可ない。家具もまだ揃っていないから本が床に平積みなのだ。

ちゃんとごはんをつくろう

Different scenery / ふたり、祝い、それからおうち

March 21st, Friday 2014

To attend my close friend’s wedding, I went to Yokohama, and on the way I looked over buildings in Tokyo from the train window. When I go through Nakameguro and Jiyuugaoka stations, I remembered that I had explained to those Japanese friends who traveled to NYC while I lived in Park Slope, Brooklyn, that Park Slope in NYC corresponds to or Jiyuugaoka or Nakameguro in Tokyo since they shared similar characteristics (quiet neighborhood, good café and restaurant, relatively higher-income residents). But, I’ve realized they are different cities. Though similar functions in the two metropolitan cities, everything is different: building, street, train, people, color in the sky… and then I again realized, I had left NYC and came back to Tokyo. Of course I don’t miss the past days. I don’t miss NYC. I don’t regret to come back to Japan. It’s not a question of which city I like better. In my life I’ve never ‘chosen’ places to live and work, I had just moved, stayed and enjoyed each time, and then moved again when I got the time. Well… so this description is nothing to do with my emotion. I just understand I’m back now, and I’ve found how I loved NYC.

「ブルックリンのパークスロープって、まぁ東京で例えれば中目黒とか自由が丘みたいなエリアでさ」なんて日本から遊びに来た友人に説明していたところの中目黒が、だけどやっぱり似ても似つかない街並みだということを見せつけられ、僕は電車に揺られそのまま横浜へ。午後からは友人カップルの結婚式、披露宴、二次会。かれこれもう7年ぐらいの付き合いになるのか、ふたりとは。

別に結婚でなくとも良いのだけど、2人の人間がパートナー関係にあって、そのどちらか一方とだけ友人なのは誰でも普通にあることだけど、カップルの両方とも知っていて、仲良しだというのはそんなに多くない。今回の2人はその数少ない友人カップルの1つで、なおかつ、2人のためなら自分にできることはなんでもしたいと思えるぐらい慕っていて大好きな、もっと数少ない2人組の1つである。

とても良い式だったのさ。

2人が添い遂げて、婚姻関係、家族関係に入るというのはとてもすごいことで、久しくそれがうまくいかないでいる僕には奇跡のように思える。とかいって、自分に引きつけて比べて考えるとどんどん自分のことばかり考えだしてしまうのは僕の悪いくせで、そうなるともう相手の話じゃなくなってしまうのだけど、今回は上述の通り数少ない僕の大好きな2人、2人として慕っている友人達の祝いの席なものだから、そんな小賢しいことを考える余地もないぐらい素直に嬉しく楽しく幸せな気持ちになった。

帰国が間に合って本当に良かった。

お祝いの品は何にしようか。

ところで2人が住んでいて、僕もしょっちゅう遊びに行き、しまいには昨年の夏、仕事での一時帰国中は居候させてもらっていた阿佐ヶ谷のシェアハウスがある。で、2人が結婚に伴い退去したので、僕が入居した。お客さんと居候を経て本住人である。このシェアハウスも、かれこれ6,7年続いているんじゃなかろうか。披露宴の席には、歴代住人とオーナーさん家族が集まっており、なんというかこう、会社や高校、大学、ご家族など他の枠でご出席の方々と並ぶぐらいの一大勢力をなしており、ここまでくると一族郎党と言って良いぐらいである。

2人が出て行って僕がちょこんと入ったわけだ。歴代住人とにもともと付き合いがあった人も多いけれど、なんだか今日は今までとちょっと違う心持ちになった。相変わらず未来は不透明の浮浪者気質で、阿佐ヶ谷にもいつまで住むか分からない。けれど、ともかくも、僕はこの町の市民として、この家の一員として、暮らすのだ。NYから帰ってきて、ここが次のホームなのだ。

そういえば僕は今まで住む場所や働く場所を、複数の選択肢の中から自ら「選んだ」ということがない。来たご縁を受け止めて、の繰り返しである(その意味では自ら意思決定しているけれど)。そうしたもんかな、とも思うが。

風は吹いたり止んだりする。

Any day, any time

Somewhere within the last days

“You’ve not been here long time.”
At Cafe Martin, beginning of March, He said to me.
“I’ve been crazy busy these days. I’ll leave NY next Monday.”
“Back to home?”
“Yes, Japan.”
“How do you like NYC?”
“I love it, I really enjoyed. I also like here.”
He never smiles as always, and pass me a cup of latte.

Yes, actually, I had been crazy busy during the last a few weeks of February and March before I went back to Japan. I had already finished my MPH course in December last year, but had stayed for 3 month more in NYC still. Working remotely for a research project on home care in Europe, I dedicated myself for the two events in early March to spread stories of my loving people in Tohoku. The first one was on 1st and 2nd March at J-LABO Brooklyn by J-COLLABO, “Kaleidoscoping Tohoku – 3 years after the disaster in 2011 –”. Second one was a symposium by Consortium for Japan Relief (CJR) “”

Cafe to cafe, meeting friend to friend, filled with love and caffein (and beer and wine at night).

SONY DSC
Before opening the CJR symposium. After 3 years since the Tohoku disaster, now I have more and more precious friends working together for Tohoku, across generation, language, nationality, ethnicity, place, and profession. I didn’t expect that when I came to NY in Fall 2012. I was empowered and raised up by NYC and you, friends here.

SAMSUNG
The last jazz at subway station before my flight.

SONY DSC
My friends held a farewell party at my apartment for me. Much of love, food, drink and live painting. Thanks.

At Cafe Martin, on 10th March, in the morning.
“What time is your flight today?”
He asked me, without smile, as always.
“1 pm from JFK”
I answered, though I didn’t expect he remembered the exact day of my flight, and even asked me the time.
“Thank you so much.”
I received a cup of latte and said.
“See you next time.”
He replied.

「なんだぁ、帰っちゃうんだ。悠平くんそのままNYいるもんだと思ってた」
「いやぁ、次の仕事が日本であって」
「NY離れるの寂しいんじゃないの?」
「や、大丈夫っす、またすぐ帰ってくるんで!」
「お、言ったなー」

この街はいつでも誰でも受け入れてくれるから、だからいいんだ。